愛沢えみり「肩書きがなくなっても評価される自分でありたい」寝る間も惜しんで昼夜問わず働いたキャバ嬢と専属モデルの両立生活を振り返る
歌舞伎町No.1キャバ嬢として活躍した愛沢えみりさん。雑誌の専属モデルのオファーを受けるも、断り続けていたそうです。悔しさが理由でスイッチが入った理由を伺いました。(全4回中の3回) 【画像】『小悪魔ageha』の専属モデル時代から、現在35歳のナチュラルな大人の美しさが魅力の愛沢えみりさんなど(全11枚)
■モデルのオファーも「私じゃない」 ── 歌舞伎町No.1キャバ嬢として知名度をあげ、その後は雑誌の専属モデルとしても活躍されました。雑誌の仕事を始めたきっかけは何でしたか。 愛沢さん:お店のお客様に、『小悪魔ageha』の編集長と知り合いの方がいらっしゃったんです。「編集長が雑誌に出てほしいと言っている」という話を聞きました。そのお客様も、「こんな機会ないから出たらいいよ」とおっしゃってくれていましたし、高校生ときからずっと見ていて、すごく好きな雑誌だったので、お声がけいただいて嬉しかったです。でも、自分がモデルとしての可愛さがあるわけではないと思って、何度もお断りしていました。
── オファーを断っていたとは! 愛沢さん:仕事では日々努力もしていましたし、キャバ嬢としては自信もあったんですが、モデルとなるとまた違うジャンルなので、「それは私じゃない」と思っていたんです。キャバ嬢のようなキラキラした子はいたものの、当時の誌面には、現役のキャバ嬢は載っておらず、どちらかというとギャル向けの雑誌でした。 頑張っているキャバ嬢の仕事にプライドもあったのでお断りしていたんですが、何度もお声がけいただいて。22歳のバースデーイベント特集としてはどうかと言われまして、それならキャバ嬢としてのキャリアにもプラスになると思って出させていただきました。
── 特集ページの仕事からお受けしたんですね。 愛沢さん:私としてはその特集だけで終わりにしようと思っていたのですが、実際に仕事をしてみると撮影がすごく楽しくて。次の号にもまた呼んでいただいたので、もう一度撮影に参加したんです。夜の世界で働いていて孤独を感じていたこともあり、みんなで一緒に作り上げるという経験がすごく嬉しかったです。 でも、発売された雑誌を見てみたら、ほんの少ししか掲載されていませんでした。それを見て、「やっぱり私って、キャバ嬢枠としては需要があったけど、いちモデルとしては必要とされていないんだな」と。そう考えると、今度はだんだん悔しくなってきて。持ち前の負けず嫌いが発揮されて、モデルとしても頑張ってみようという気持ちが生まれてきました。キャバ嬢という肩書きがなくなっても評価される自分になってみたいという思いでしたね。
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