【ラグビーコラム】「面白い」に出会える。(向 風見也)
いよいよ「最後の1週間」が始まった。 12月中旬に開幕した国内リーグワンは、5月下旬にクライマックスへ突入していた。1部はプレーオフの決勝、3位決定戦、2部との入替戦を残すのみだった。 湘南新宿ラインに乗ったのは、5月21日の火曜だった。停車駅は熊谷駅だ。現地で借りた電動自転車を走らせた先では、埼玉パナソニックワイルドナイツが汗を流している。東京・国立競技場でのファイナルを26日に控える。 日が傾くまでには、全体練習の終わりを迎えた。福井翔大、長田智希といった出場予定の若手、後に引退の谷昌樹に、引き上げる折に話をしてもらった。 まもなく渉外・広報の酒井教全さんがクラブハウス内のミーティングルームへ通してくれた。大手通信社の記者と2人で、ワイルドナイツのロゴが入った椅子にかけた。 大一番を控える割に取材者が少ないのは、日本代表候補の一部が集う「15人制男子トレーニングスコッド菅平合宿」の最初の活動公開日と重なっていたからだ。報道関係者の多くはそのキャンプを21日に、ワイルドナイツは22日にカバーするようだった。 ほどなく「すいません」と入室してきたのは堀江翔太。今季限りでスパイクを脱ぐ38歳だ。 屋外であったテレビ局のインタビューを終えたところで、複数の記者が一緒になってひとりの対象者の言葉を聞く「囲み」と呼ばれる形式で語ってもらうことになった。 こちらが時間を取ってもらっている側なのに、向こうから「すいません」。それが、ワールドカップに4度出場してきた堀江のキャラクターだった。 話題は「最後の1週間」だ。2023年度のリーグワンにおける、何より自身の現役選手としての「最後の1週間」を過ごしていることについて、堀江は実感がない様子で発した。 「次の試合に向けてどう(直近の課題を)修正するかという部分が中心に頭のなかで動いている。僕のラグビー人生で最後だというのは、二の次ですね」 個人的には、試合前の「堀江選手」に質問をするのはこの瞬間が最後だった。その問答の様子をウェブサイト向けにまとめながら、別な土地に向かった。 22日の水曜に出かけたのは東京の府中市だ。東京サントリーサンゴリアスのメディアデーがあった。サンゴリアスは25日、東京・秩父宮ラグビー場での3位決定戦へ出ることになっていた。 先述の通り、各紙の記者はほとんどがワイルドナイツのもとへ足を運んでいたようだ。来訪者の数が限られていることへの気楽さも手伝ってか、「座ってお話しするのは失礼ではないですか?」と切り出したのは髙本幹也。やがて新人賞に輝く司令塔だ。 出席していたライター数名が「もちろん大丈夫ですよ」と返したのを受け、クラブハウスの縁側にあたるスペースにしゃがんだ。同じタイミングでその場へ来た山本凱、スタッフの打ち合わせの後に対応した田中澄憲監督もそれに倣った。 最後にやってきた堀越康介主将だけは、「立ったままで大丈夫です」と口角を上げた。 着席か。起立か。そういう何気ない動きが必ずしも深い意味を持つとは限らないのだが、妙に、こういうことには興味がわく。サンゴリアスの「最後の1週間」で実感した。 言動で耳目を集めると言えば、横浜キヤノンイーグルスの沢木敬介監督だ。筆者がイーグルスの「最後の1週間」に接したのは23日の木曜だった。 前日に対応したサンゴリアスとの3位決定戦は、その2日後に組まれていた。本番前最後の本格的なセッションを前に、チームは集合写真を撮った。 町田市の天然芝で、撮影場所のゴールポストのもとに選手とスタッフが三々五々、集まる。それを「一番、最後に来たら罰金ねー」と急がせたのが沢木だった。 厳しい口調での叱咤激励で知られる指揮官だが、付き合いの長い選手には「気配りの人」と捉えられている気がする。 シャッターが押され始めて間もなく、その様子をスタンドで眺める筆者へ沢木が叫んできた。 「おい! 撮ってよ!」 もともとカメラを持っていた広報の道添文士さんへは、「文土、入れ!」。なるほど。最後の撮影だから、その場にいる全員を映したかったのだ。 戸惑いながら芝に入らせてもらった筆者へ「大丈夫です! 私がやります」と駆け寄ってきたもうひとりの広報、小林健太郎さんにも、指揮官は「いいよ、健太郎も入れ!」。皆、「ハイチーズ」の代わりに叫んだ。 「Go! Eagles!」 筆者の1枚はきっと、出来がよくなかった。 ただでさえ写真が下手であるうえ、手渡されたカメラがあまりに性能がよく扱いきれなかったこと、田村優やファフ・デクラークといったワールドカップ経験者が笑顔で待っていたことで、無形の圧がかかっていた。クラブのSNSには、全員が映っていない1枚が載った。 心に残ったのはかすかな申し訳なさと、前向きなハプニングに出くわしたことによる妙な高揚感。幸運だったのは、翌24日の金曜にも「撮ってよ!」に負けずとも劣らぬ体験ができたことだ。 東芝ブレイブルーパス東京の公開練習を午前中で終え、府中市内の敷地近くの定食屋へ入った時のことだ。 引き戸を開けると、奥側のテーブルで海外選手が4人でいた。そのうち2人はリッチー・モウンガとシャノン・フリゼルだった。いずれも昨秋までニュージーランド代表で、初来日するやブレイブルーパスを躍進させていた。 4人が食べ終えたのは、筆者が同行のスポーツ紙記者と料理に手を付け始めた頃だ。 モウンガは支払いを済ませると、店主の老紳士に英語で挨拶した。同席したアイランダーが日本語に訳し、このように伝えた。 「次のゲームが終わればすぐに帰国します。シーズンを通し、たくさんのサポートをしてくれてありがとうございます」 世界的名手が、東京郊外の行きつけの店で感謝を口にしていた。筆者としては「最後の1週間」の「最後の平日」に、素敵なエピソードに出会えたことになる。いわば、これ以上ない形での締めくくりと言えよう。 …と、思っていたところで、さらなるサプライズがあった。 ガラガラ…。 「…もう、終わり?」 扉の隙間から店内を覗くのは、リーチ マイケルだった。 最後までメディアに応じてくれたためランチが遅れた主将のリーチは、店主に「鮭カマ、まだありますか?」と注文。それどころか「時間、まだあります?」「いいですか?」と、スポーツ紙記者と向かい合っていた筆者の隣に座るではないか。 ここからはリーグワンの面白さ、リーグワンの伸び代、定食屋のおすすめのメニューに関し、雑談の調子で述べた。 味わい深かったのは、レジの横に置いてあった『ラグビーマガジン』を手にしての一言だ。表紙では、日本代表ヘッドコーチのエディー・ジョーンズがにらみをきかせていた。 「…この間、エディーが夢に出てきました」 なぜグラウンドに行くのか。それが自分の仕事だからか。それもそうなのだが、それだけではないような気がしていた。 そして、「最後の1週間」でそのあたりの答えが見えた気がする。 何か、面白いことに出会えると信じて、グラウンドに行くのだ。 【筆者プロフィール】 向 風見也(むかい・ふみや) 1982年、富山県生まれ。成城大学文芸学部芸術学科卒。2006年よりスポーツライターとなり、主にラグビーに関するリポートやコラムを「ラグビーマガジン」「スポルティーバ」「スポーツナビ」「ラグビーリパブリック」などに寄稿。ラグビー技術本の構成やトークイベントの企画・司会もおこなう。著書に『ジャパンのために 日本ラグビー9人の肖像』(論創社)。『ラグビー・エクスプレス イングランド経由日本行き』(共著/双葉社)。『サンウルブズの挑戦』(双葉社)。