福島第一原発事故の後始末から国は手を引いた……国が避難指示の解除を求める理由
■ 国が避難指示の解除を求める理由 日野:双葉町と大熊町は福島第一原発のあるところなので、汚染の状態は最も深刻です。 放射線量の高さに応じて「避難指示解除準備区域」「居住制限区域」「帰還困難区域」という3つの区分がありますが、「帰還困難区域」とは「戻れない」という意味です。その区域の土地や建物の価値がゼロであるという状態です。双葉町は全体の96%が帰還困難区域と判断されました。 やがて、一部は除染して避難指示解除が出ました。除染して避難指示を解除した区域を「特定復興再生拠点区域」と呼びます。現在、井戸川さんの双葉町のご自宅がある場所は、中間貯蔵施設の用地内です。ここはいまだに帰還困難区域です。 【関連資料】 ◎特定帰還居住区域復興再生計画(福島県双葉町) ──そのような状況にもかかわらず、国は避難解除をして「皆さん帰還してください」と言っているのですか? 日野:いえ。国は「避難指示を解除させてください」とだけ言っています。避難指示を解除したら、賠償は打ち切られるし、避難している方々にも税金がかかってくる。ですから、今のような状況では、避難している人たちは解除されては困るのです。 「なぜ汚染しているところに帰らなければならないのか」ということです。でも、国は「帰りたい人もいますから」という説明を繰り返してきました。 この状況が一昨年まで続いていました。本当に国は住民に戻ってほしいと思っているかというと、私は懐疑的です。 ──つまり、避難指示を解除して賠償はやめたいけれど、本当に帰るべきかどうかは明言しない。 日野:そうです。「帰れとは言っていない」という表現です。とにかく避難指示を早く解除したい。避難指示の対象の方々が、その後どこに行こうが、戻ろうが、その部分に関しては関心がない。
■ 大バッシングにつながった「美味しんぼ騒動」 ──井戸川さんは埼玉県加須市に「東電原発事故研究所」を構え、毎月第一金曜日に「双葉町中間貯蔵施設合同対策協議会」という集まりを開いてきました。この他に毎年、総会や学習会なども行っていると書かれています。 日野:井戸川さんが双葉町の町長を辞任した後に、双葉町、大熊町、福島県が、中間貯蔵施設を自分たちのところに作ることを受け入れました。この直後の、2014年9月に、井戸川さんは「双葉町中間貯蔵施設合同対策協議会」を立ち上げました。 私は最初、この協議会は中間貯蔵施設受け入れの反対派の集まりだと思っていました。ところが、井戸川さんの話を聞いている内に、そうではないことが分かってきました。 この集まりは、町民がここで勉強して、それぞれが政府と闘えるようになることを目的にしているのです。「みんなで一緒に闘う」という発想ではなく、「みんな知識を付けて、それぞれが闘え」という考え方です。 ただ、ここに集まっている方々は高齢の方が多い。井戸川さんは77歳ですが、集まっているのも同年代くらいの方々です。一番若い参加者でも60代で、なかなか熱心に勉強をするという雰囲気にはなりません。 ところが、なぜか10年にわたってこの会は続いてきました。不思議ですね。コロナ禍の集まりは中断していたのですが、コロナ後も再び集まっている。全体では40人ほどいますが、毎回会に集まるのは実質10人ほど。私がこの集まりに参加するようになったのは5年前くらいからです。 ──この集まりにはゴールはあるのですか? 日野:ないと思いますね。熱心に勉強するという気配はもはや失われています。「参加者たちのモチベーションは何なのだろう」というのが、私にとっては疑問でもあります。 ──福島第一原発事故の時に、独自の判断で町民を大移動させてヒーローとなった井戸川さんは、その後、ある出来事をキッカケに、日本中からバッシングを受けるようになります。何があったのでしょうか? 日野:双葉町から加須市に町民を連れてきた時は、旧約聖書でイスラエルの民を率いたモーセさながらの英雄としてメディアで語られました。ただ、町長を辞めて1年ほど経った2014年4月に「美味しんぼ騒動」というものが起きました(※)。 ※美味しんぼ騒動:2014年4月28日発売の「週刊ビックコミックスピリッツ」(小学館)で、連載中のマンガ「美味しんぼ」の主人公が福島第一原子力発電所を訪れ、後に鼻血を出し、双葉町の井戸川克隆・前町長が「福島では同じ症状の人が大勢いる。言わないだけ」と語る場面が描かれた。その後、風評被害につながると批判が相次いだ。 ──これは「美味しんぼ」の作者が井戸川さんと会って話をして、その時に井戸川さんが言ったことをそのままマンガに描いた。そうしたら、「デマを言うな」という批判の声が大きくなった騒動です。でも、井戸川さんはデマを言ったつもりはないという話ですよね。