20人しか残らない被災地区、見えない未来 「邪魔者かも」と思っても、住民が戻る日のために働く 珠洲市移住者の決意
石川県珠洲市狼煙地区で働く奈良市出身の32歳
能登半島地震で被災した石川県珠洲市狼煙(のろし)地区で、長野県下高井郡木島平村の元地域おこし協力隊員の馬場千遥(ちはる)さん(32)=奈良市出身=が被災者への支援を続けている。珠洲市の協力隊員になり、移住して5年目。自身も被災したが、変貌した地区の「見えない将来」に不安を抱えながらも地区を離れず、住民が戻る日のために動き出している。 【写真】輪島の焼け跡で懸命の救助、重機とともに「助さん」登場
半島先端の地区、珠洲市中心部から車で40分
地震の影響で半島先端にある地区は現在、市中心部から車で約40分かかる。向かうまでの道の一部は崩落し、沿道には跡形もなく倒壊した民家が並ぶ。 「この資金はクラウドファンディング(CF)で集められるんじゃないですか」。22日午後、地区内の自主避難所「狼煙生活改善センター」。地区の復興を巡って区長の糸矢敏夫さん(68)に話しかける馬場さんの姿があった。
長野県木島平村の協力隊員から転身
馬場さんは金沢大在学中の就業体験で木島平村を訪れたのをきっかけに2014年に村の協力隊員になり、主に大学連携事業に携わった。19年に珠洲市の協力隊員に転身し、移住定住推進に従事。辞めた後も引き続き地区に残り、移住者と人手が足りない事業者などをつなぐ事業協同組合で活動している。 狼煙生活改善センターの自主避難所は現在、住民10人ほどが利用する。地区をどう復旧し、漁業や農業をどう立て直し、新たなまちづくりをしていくのか―。馬場さんは、住民と共に「のろし復旧・復興会議」も立ち上げた。
地区の新年会中に被災
地震が起きたのは、毎年恒例の地区新年会に参加していた時。「ちょっと前まで笑顔であふれていた。区長があいさつで『この建物も23年5月の地震からようやく直った』と言った直後だった」。死者は出なかったが、市中心部には行けなくなり、携帯電話の電波も届かなくなった。 数日後、何とか市中心部までたどり着くと、悲惨な状況が広がっていた。「黒瓦に板張りの街並みがすごく好きだったのに…」
「いつでも帰ってこられるようコミュニティー維持したい」
以前は50世帯100人ほどが暮らしていた地区。だが高齢女性ら約30人が加賀市に2次避難するなどし、残るのは約20人だ。住民が離れていく状況に、馬場さんは「いつ水道が復旧するかも分からず、ここにいても何もできない。配給された食材を頂き、私が邪魔者なのではないかと思う時もある」と漏らす。 それでも馬場さんは、避難した住民の多くが「また戻ってきたい」と話しているとし「その人たちのためにも仮設住宅の建設状況などを伝え続け、いつでも帰ってこられるようコミュニティーを維持していきたい」と力を込める。 これまでに「第2の故郷」と考える木島平村と地区をつなぐ活動もし、地震後には木島平の知り合いからも多く励ましをもらった。「生きる知恵を持った人たちがつくる『濃密なコミュニティー』という意味で木島平と狼煙は似ている。また交流を深めていきたいし、そのためにも狼煙の将来を考えていくことが私の役目」。馬場さんは自分に言い聞かせるように言った。(川浦風太)