「鬼平」の時代考証を担当する“縁の下の力持ち”…《特に注意するのはセリフ回しです》
──「鬼平」の時代考証をされるようになったきっかけは? 倉品 始めたのは、さいとう先生が逝去された直後からです。先生がお亡くなりになったことで、脚本を読み、ネームを構成するという、作品の根幹とも言うべき部分を担当する人がいなくなってしまった。では、どうするか? 「ゴルゴ」の場合、小学館が全社を挙げて対策を練りました。しかし「鬼平」に関しては、リイド社はもちろんですが、さいとう・プロとしても対処する必要があったんです。私は小学館を退社後、2018年からさいとう・プロの特別顧問をしていたので、その対策を相談されたわけです。 実は、先生が逝去される1年程前に、先生の右腕として構成を担当されていた甲良幹二郎先生が体調を崩し、後任を探していた。そこで、ひきの先生をご紹介し、引き継ぎの準備をしていたところだったんです。私なりに「鬼平」という作品をあらためて分析し、「『鬼平犯科帳』構図研究ノート」という資料も作成し、スタッフの方々に「鬼平」の世界観を継承してもらえるようにしました。同時に、時代考証も担当するようになったわけです。 ──そんな経緯があったんですね……。
ゴルゴ担当者は「さいとう学校」の卒業生
倉品 私はさいとう先生に、漫画の面白さを教えてもらいました。その恩返しだと思っています。さいとう先生には吉田茂から続く戦後政治を描いた『劇画 小説吉田学校』という作品がありますが、「ゴルゴ」の歴代担当者は、みんな「さいとう学校」の卒業生なんです。さいとう先生の新担当になって、「アシスタントの方を紹介してください」と先生にお願いすると、「アシスタントじゃない、スタッフなんだ」と諭される。そこからスタートなんです。 さいとう劇画の魅力は、人間の欲望がドラマの根底にあることです。それは今も昔も変わらない。時代を越えて、誰でも疑似体験できます。さいとう劇画には、読者を物語世界に導くためのテクニックが随所に潜んでおり、「鬼平」の場合、その一つが絵の構図なんです。 ──倉品さんのキャリアを教えてください。 倉品 大学で、黄表紙や洒落本など江戸庶民文学を専攻していました。卒業後、小学館に入り、38年間、漫画一筋です。藤子不二雄Ⓐ先生、藤子・F・不二雄先生、水島新司先生、あだち充先生など有名な漫画家はほとんど担当しています。「ゴルゴ」の担当も足かけ6年していました。時代劇が好きで、白土三平先生の『カムイ外伝』、石ノ森章太郎先生の『八百八町表裏 化粧師』なども担当しました。 ビッグコミックの編集長を務めていたときは、「ゴルゴ13脚本大賞」を立ち上げ、新しい脚本家の発掘を心がけました。現在、小説家・脚本家として大活躍されている夏緑さんはこの賞の第1回受賞者ですね。「ゴルゴ」のスピンオフである「ファネット」シリーズも脚本を担当されています。 ──生前、さいとう先生とのおつきあいは? 倉品 月に1回は銀座へ飲みにご一緒させていただきました。クラブへ入店してだいたい30分くらいすると、先生は「そろそろ次、行こか……」。都合5軒くらい、ローテーションが決まっているんです。漫画家という仕事はデスクワークの連続ですから、1カ月に1回くらいは息抜きが必要なんです。 ──さいとう劇画を後世に残すには、今後どうすべきでしょうか。 倉品 世界中で日本の漫画がファンをつくっていますね。やがて成熟した読者が、成年向けコミックを求めるようになる。その時、さいとう劇画を世界に発信したい。海外の配信ドラマで「SHOGUN 将軍」や「忍びの家 House of Ninjas」など日本の時代劇が注目を集めています。さいとう劇画には、人間ドラマがちゃんと入っている。国とか時代、男女を超えて、親しむことができるはず。ぜひ、チャレンジしたいですね。 倉品雅一郎(くらしな・まさいちろう) 1954年生まれ、東京出身。早大卒業後、小学館にて漫画編集者として38年勤務。2001~08年「ビッグコミック」「ビッグコミックオリジナル」編集長。15年より藤子スタジオ顧問、18年よりさいとう・プロダクション特別顧問を務める。
文春コミック/文春コミック