新型コロナ禍に振り回される22歳ボクサーの人生…世界戦延期中の中谷潤人が経営難トンテキ店閉店のWショック…「悩んだ末の決断。世界王者になって恩返しを」
ダブルショックだった。 4月4日に後楽園ホールで世界初挑戦が決まっていた。田中恒成(畑中)が4階級制覇を狙うために返上したWBO世界フライ級王座の決定戦として同級1位マグラモの相手に同級3位の中谷が指名されたのだ。しかし、新型コロナの影響でJBC(日本ボクシングコミッション)とJPBA(日本プロボクシング協会)が3、4月の国内興行の中止要請を決定し世界戦は延期となった。中谷は、米国ロスで合宿に入っていたが、緊急帰国を余儀なくされた。 世界戦延期と経営店閉店のダブルショックに見舞われたが、中谷は、ポジティブに気持ちを切り替えた。 「閉店という残念な結果になりましたが、僕にはボクシングという場所があるので、世界チャンピオンになって、みなさんに恩返しができればいい。世界戦は延期になりましたが、次は世界戦という形です。そこに向けて頑張っていきます」 三重を引き払って、上京してきた家族は引き続き、この地に留まり息子をサポート、「無理のないように、違う方の形で仕事をしていってもらう感じです」(中谷)だという。 周囲からは、「世界王者になって、新型コロナが収束したら、また新しい店を始めたらいいじゃないか」の激励の声もある。 「そういった声もいただいています。でも今は閉めたばかりでなんとも言えません。世界チャンプになってからの話です」 モチベーションが落ちることもない。 「今、どのボクサーもみんな一緒だと思うんですが、僕は世界戦を待っている状態で、次にできるということなんで、モチベーションは保てています。目標としてきた世界チャンピオンになること。その気持ちを常に持っている。それしかない」 中学卒業と同時に高校へは進学せず、単身アメリカに渡った。そこで名トレーナー、ルディ・エルナンデスと出会い、世界王者への道がスタートしている。2015年に17歳でプロデビューすると、2016年にフライ級の全日本新人王を獲得、2017年に初代日本フライ級ユース王者、2019年に日本フライ級王者と、とんとん拍子で世界への階段を駆け上がり、20連勝中(15KO)。直近は、 3試合連続でKO決着をつけるなど、武器である長いリーチとスピードに加え、左ストレートに一発の威力も出てきた。