由美かおるの「レオタード」はどう考えてもあり得ない…「昭和の時代劇」に無理やり盛り込まれた「肉体美」のナゾ
令和の時代ではどうか
1995年に放送されたスピンオフ作品『水戸黄門外伝かげろう忍法帖』では、配下の女忍者たちも色違いの同じ装束で登場。2000年4月にスタートした『水戸黄門』の第29部は石坂浩二を新たな水戸光圀役に迎え、まだ顎髭のない時期からのスタートとなったが、由美かおるは「疾風のお絹」という別人として続投した。 初めは男物の忍装束でいたが、途中から「かげろうのお銀」と似たり寄ったりのものへ変更。ただし、配下の3人の女忍者は通常の旅装か忍装束で、セクシー要素は皆無だった。どうやら21世紀に入る頃から、戦う女性にお色気要素を必須とする思考が絶対のものでなくなり始めたようである。 スポンサーからの広告収入で成り立っているテレビ局。今よりもえげつない資本主義ゲームが繰り広げられていた当時は、クレームがあったしても、視聴率が高く、商品の売れ行きもよければよしとされた。 SNSなき昭和には「炎上」という現象は起こりにくく、番組を見て不快と感じた視聴者が連帯することはもちろん、増して商品ボイコット運動を呼びかけ、それが拡大することもめったになかった。そのため、警察が動くレベルの違反を犯さない限り、時代劇に時代考証を無視したシーンを頻出させても問題なかった(ように済んでいた)のだ。 しかし、令和の時代はまったく状況が異なる。そもそも、地上波の民放から連続時代劇が消えて久しいが、もし復活したとしても、物議をかもすシーンを意図的に盛り込むことは難しいだろう。繰り返し前置きしながら放送した「ふてほど」でさえも賛否両論だったわけだから、無自覚であっても責任問題に発展する可能性は否定できない。
島崎 晋(歴史作家)