『光る君へ』で約20歳差の紫式部と結婚した宣孝。恋文を見せびらかしたせいで<大喧嘩>に…その新婚生活について
◆桃の花を詠む この春、瓶(かめ)に挿してあった桜がすぐに散ってしまったので、桃の花を眺めて、つぎの歌を送った。 折りて見ば 近まさりせよ 桃の花 思ひぐまなき 桜惜しまじ (折って近くで見たら、見まさりしておくれ、桃の花よ。瓶にさした私の気持ちも思わずに散ってしまう桜なんかに決して未練はもたないわ) 桃を自分に、桜を宣孝の別れた旧妻(の一人)になぞらえて、結婚してみたらいっそうよく見える女であったと思われたいとの寓意(ぐうい)を含むとされる。 その気の強さもさることながら、日本的な桜ではなく、中国的な桃に自分をなぞらえるなど、いかにも漢籍に詳しい紫式部ならではである。 宣孝は、「百(もも)にも通じる桃は、すぐに散ってしまう桜より見劣りするようなことはない」という歌を返している。 実際には100年どころか、2年半ほどの結婚生活となってしまったのであるが。
◆梨の花を詠む 一般的に日本では賞翫(しょうがん)されることのない梨の花も詠んでいる。 花といはば いづれかにほひ なしと見む 散りかふ色の ことならなくに (桜も梨も花という以上は、どれが美しくない梨の花と見ようか。風に散り乱れる花の色は違っていないんだもの) すでに当時の一般的な婚期を過ぎ、美人という評判も立っていない自分を、梨の花にたとえたものであろうか。 これも中国では「長恨歌(ちょうごんか)」にあるようにもてはやされる梨の花を詠みこむあたり、『枕草子』第35段の「木の花は」に通じる美意識である。 ともあれ、こうやって紫式部の結婚生活ははじまった。 このまま幸福な日々がつづくと、このときには思われたことであろう。 ※本稿は、『紫式部と藤原道長』(講談社)の一部を再編集したものです。
倉本一宏
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