大沢樹生「Youやっちゃいなよ」は魔法の言葉、映画のカチンコ
“Show must go on”の精神 ステージ全体へ指示出し
超売れっ子となった光GENJIだが、94年8月末の大沢と佐藤寛之の脱退後は「光GENJI SUPER 5」に改名し活動を続けるも95年に解散している。 「ジャニーさんは約7年間、常に光GENJIの現場にいました。ツアーには必ずきたし、番組収録にもほぼいました。ジャニーさんにとっても特別なグループだったのだと思います」 現場でのジャニー氏からの指示出しは、事細かなものだったという。 「リハーサルでメモをとって、終わってからダメ出し。立ち位置から、細かい指示が出ました。それを咀嚼し本番までに修正する。僕たちに限らず照明さん、音響さん、舞台監督にも、ステージにまつわる全部について指示が出ました。13歳のとき少年隊と一緒にニューヨークにレッスンを受けに連れて行ってもらったのですが、アメリカでのショービジネス経験からのこだわりなんだと思います」 ローラースケートで跳び回る光GENJIだけに、ケガは絶えなかった。 「それでも僕らのときは休まなかった。代わりがいないですから。僕もある日、1回目のステージでスネを割っちゃって病院で縫ってもらい、次のステージに出ましたが、それが普通。そしてそれをジャニーさんも止めなかったですから。有名な“Show must go on”の精神でしょうね。何があってもショーは続けなければならない、という」
カチンコ鳴らされたら、やらなきゃいけない
入所まもない頃に連れて行かれた近藤真彦のコンサートで、「You、出ちゃいなよ」といわれてから始まった大沢の芸能人生。10月6日は、初のアコースティックライブを都内で開く。小林孝至のギター、斉藤哲也のピアノをバックに、大沢が歌い上げる。原点を見つめ直すような質素なライブになるが、これまでの芸能活動のベースには常にジャニーズで培ったものが流れているという。
「ふだん意識しているつもりはないんですけど、やっぱりそれはありますね。あの『You、やっちゃいなよ』っていう言葉は魔法なんですよ。あれを言われると、躊躇できないんです。映画のカチンコみたいなもんです。カチンコ鳴らされたら、あとはもう監督の『カット!』がかかるまでやらなきゃいけない」 その魔法がかかったまま、芸能人生を送る。 (取材・文・撮影:志和浩司)