大沢樹生「Youやっちゃいなよ」は魔法の言葉、映画のカチンコ
今月5日に開かれたジャニー喜多川氏の「お別れの会」に、元光GENJIの大沢樹生の姿があった。ソロになって25年、6月には名古屋ブルーノートでライブを行い、来月は都内で初のアコースティックライブを控えるが、ジャニーズ時代に培ったものはいまだ自身の中に生き続けているという。ジャニー氏、ジャニーズから得られたものとは?
もう一度、ジャニーさんに会いたかった
「お別れの会で25年ぶりジャニーズの領域に行かせてもらって、メリーさんとも再会でき感激しました。25歳のとき自分から飛び出した事務所なので、またお会いできるとは思いもしなかったし、懐かしく、実家に帰った居心地のよさみたいなものを感じました。ジャニーさんらしい盛大な会でしたが、ジャニーさんとは退所以来、会えずじまいになってしまいました。今年6月に救急搬送されたときお見舞いに行きたかったのですが、足を運べる立場ではなかったですから。もう一度、生きていらっしゃるうちに会いたかった」 涙がこぼれないようにやや上を見ながら、ジャニー氏との思い出を振り返る大沢。小学6年の3学期に入所し、その翌々週にはステージに出されたという。 「ジャニーさんに、近藤真彦さんの武道館コンサートに連れて行かれて、ずっと観ていたら最後のほうでいきなり『You、やっちゃいなよ。出ちゃいなよ』と黒いTシャツを渡されて。えー!と思いましたが、出るしかなくて。頭の中は真っ白でしたが、人間の本能かこの場をなんとかしなくちゃと無我夢中でした」
不遇の時代乗り越え「You、ローラースケートやってみない?」
入所翌年の1983年には、またも突然、イーグルスのメンバーに選ばれレコードデビューしたが、約2年でグループは消滅し不遇の時期を迎える。 「僕ひとり変声期前でレコーディングも声を入れてもらえず悔しかったし、消滅後は先輩のバックに戻され、光GENJIまで3、4年間つらい時期を過ごしました。1回デビューしているだけにつらい。甘いもんじゃないな、って」 一度は事務所をやめる決心をし辞意も伝えたが、やがてジャニー氏からこれまた突然、「You、ローラースケートやってみない? 絶対スターになれるよ」といわれた。「本当ですか?」大沢は、ラストチャンスとかけてみることにした。そして87年6月、光GENJIの結成へとつながる。 「デビュー前のキャンペーンではお客さんは50人ぐらいで、これもダメかなって思いましたが、その年の8月19日『STAR LIGHT』でレコードデビューした当日『夜のヒットスタジオ』に出て、その週末の大阪のキャンペーンに3万人きたんです。どういうこっちゃ?って感じでした」 ローラースケートでバック転もこなすパフォーマンスが人気を集め、爆発的なブームとなった。翌年には「パラダイス銀河」で第30回日本レコード大賞を受賞。その勢いは“最後のスーパーアイドル”と形容され、経済誌でも社会現象として取り上げられた。 「うぬぼれはなかったです。つらい時代がありましたから、冷静な目で自分を見ることができたんです」