県立岐阜商でベンチ外→146キロの剛腕エースに!名古屋商科大の奪三振王が噛みしめた、遅れてきた青春<準硬式・全国大会(清瀬杯)>
<清瀬杯第56回全日本大学選抜大会:名古屋商科大5-13帝京大>◇1日◇1回戦◇札幌市営円山球場 【一覧】進学もしくは社会人志望の選手 1日から北海道で始まった清瀬杯第56回全日本大学選抜大会。もう1つの全国制覇を目指す戦いが繰り広げられる中、東海地区代表・名古屋商科大が帝京大と対戦し、5対13で敗れ去った。 1対3で迎えた7回二死1、3塁、2点を追いかける名古屋商科大にとって、もう追加点は許せない。「投げる前から『これしかない』って思っていましたし、三振を取れる気しかしなかったといいますか、絶対に投げられる」という強い気持ちで、狙いにいった三振をツーシームで奪ったマウンド上の松下未来投手(4年=県立岐阜商出身)。最速146キロの快速球ばかりに目を向けがちだが、このツーシームこそ名古屋商科大での成長の証だ。 高校時代は岐阜の強豪・県立岐阜商。先日、監督を勇退した鍛治舎巧氏は、松下が入学したと同時に、監督就任を果たした。鍛治舎政権の1期生にあたるわけだが、3年間は不完全燃焼で終わった悔しい時期だった。
「自分は3年間で公式戦に登板する機会はなく、その一方で学校では試合に出ている同級生が周りから褒められる。そこに悔しさをずっと3年間感じていました。たしかに当時は同級生、後輩は凄いメンバーばかりが集まっていたんですけど、その様子を見ていて正直辛いと思うことが多かったです。 それでも最後までレギュラーを諦めずに頑張れたから、甲子園交流試合ではボールボーイをやらせてもらえたと思います。そこに嬉しさがありましたけど、どうしても悔しかったです。目指していた舞台に、出たくても出られない。一番近くで見ることしかできなかったので」 投げられないことへの悔しさをずっと抱えて、県立岐阜商でも3年間を終えた松下は、「とにかく試合に出たい」ということから、先輩の誘いを受けて名古屋商科大へ進学。登板機会を求めて準硬式に進むと、1年生の春からリーグ戦登板のチャンスを掴んだ。 望んでいた公式戦での登板、「思っていた以上に登板機会をもらえて、出来すぎでした」という大学デビュー。県立岐阜商時代、最速139キロでも周りからは「速い、速い」と称賛された。 ただ、県立岐阜商時代はスピードを求め続けたために、試合で勝つために必要な球種を磨くところまで至っていなかった。だから松下はツーシームを習得し、試合で投げる投手から、勝てる投手へ成長を遂げ、この春はリーグ戦で最多奪三振のタイトルを獲得。東海地区の奪三振王として、今大会に乗り込んできた。 ただ帝京大相手には、「いつも三振を取れる球で取れなかったり、見逃されたり、全国、関東のレベルの高さを痛感しました」と全国の壁にぶつかった。もちろん悔しさを感じながらも、「力を出し切ったので完敗です」と晴れ晴れとした表情だった。