感動と笑いに包まれた引退試合。なぜ本山雅志はこれほど愛されたのか。タイトルから遠ざかる古巣への熱い思い
「もう一回、やりますか」
記者会見会場に入ってくると、開口一番、 「楽しかったです。疲れたぁ~」 会場が笑いに包まれる。今後のスカウトの仕事について聞かれると、「今日、思うようにプレーできない部分があったんで、明日からもっと練習します! 鹿島のジュニアユースとサッカーして、彼らをやっつけないといけないんで」。まだまた自分自身もサッカーが上手くなりたい様子だ。 外からスカウトして連れてくるよりも前に、まず鹿島のジュニアユースをしっかり観たい。そのなかでトップに必要な選手を見極めてから、足りない選手、刺激を与えてくれる個性を持つ選手を外から探したいのだという。 会見も終盤になり、自身のサッカー人生について総括する時間が訪れる。 「ワールドカップも出てみたかったし、怪我もありましたし。悔いはありますよ、サッカー大好きですから。やりきった感は明日から少しづつ出てくるのかな。でも、今日改めて人に恵まれた、みんなに支えられたサッカー人生だったと思いました。 プロになる前、まず小学生の頃は、幼馴染代表として今日もプレーしてくれた宮原裕司たちが、毎日毎日、夜いつまでも僕がもう帰ろうと言うまで、サッカーに付き合ってくれました。そのあと、今日花束を渡しに来てくださった東福岡高校の志波先生に出会って、伸ちゃん(小野)やミツ(小笠原)やたくさんの自分より上手くてサッカーが大好きな同期とプレーして、たくさんサッカーを学ぶことができた。 よく79年組はライバルですか? と聞かれるんですけど、伸ちゃんやミツと戦おうと思ったことはないです。正直、自分が闘っていたのは怪我や病気でしたし。 僕は下手ではないけど、すごく上手い選手じゃないと思うんです、自分で。でも、こんなに長くプロを続けることができたのは、周りの人たちに恵まれていたからですよね。今日の引退試合も、俺呼ばれてないよ、って連絡くれた方々も申しわけないくらいたくさんいて...」 ここまで話したあと、彼は一瞬考えて、笑いながら言った。 「もう一回、(モトフェス)やりますか」 芝上のファンタジスタは今日もまた、華麗なテクニックで私たちを翻弄するのだ。 <文中敬称略> 取材・文●佐藤香織