「教師にバレたら終わり」三重県の「超スパルタ校」から決死の脱走……卒業生が告白した「一部始終」と「背筋が凍った瞬間」
脱走を決めた日
「日生学園」という高校をご存知だろうか。 約40年前、私はこの「超スパルタ高校」の生徒だった。 【日生学園名物】え…? 半狂乱で行なわれる「全力心行」 日生学園の卒業生は一生、あの「3年間」から逃れられない。いまも日生学園で過ごしたことの後悔と無念、恨み、そしてほんの少しの感謝…あらゆる感情が頭の中を駆け巡る。それだけ、学園での日々は強烈過ぎた。 今回は私が日生学園から「脱走」を試みたときの話をしたい。 ――ナガシマスパーランドに行きたい。 私が脱走を決意したのは高校1年生の夏休みことだった。なぜ脱走を試みたのか。「ナガシマスパーランドのせい」。今振り返ると、そういうよりほかない。 「地獄」と称されることもある当時の日生学園だが、刑務所ではなく、あくまでも学校である。生徒が学園で生活するのは年間300日以上もあったが、「夏季休業日」や「冬季休業日」といった学校教育法で定義される休日などは学園から「解放」された。
ナガシマスパーランドの誘惑
しかし解放されない生徒たちもいた。理由はさまざまだが多くの場合、部活動が原因だった。かくいう私も卓球部の合宿で夏休みにもかかわらず寮に残っていたのだ。 夕食後の自由時間、ほとんどの生徒が帰省し、寂しくなった寮内。私は一人部屋に戻り、寝転がりながら、隠れて持ち込んだ小型ラジオから流れる歌謡曲に耳を傾けていた。 しばらく聞いていると「次はTUBEのSUMMER DREAMです!」との曲紹介に続きボーカル前田亘輝の朗々とした歌声が響いた。 夏の太陽に煌々と照らされた砂浜の上で、水着の男女がはしゃいでいる。歌を聞きながら、そんなことを想像した。だが、クーラーも扇風機もなく蒸し暑い部屋と、網戸にへばりついた無数のカメムシのにおい、そして外でけたたましく鳴くヒグラシの鳴き声が私を現実に引き戻した。 「世間は夏真っ盛り、でも俺は、ド田舎の山でつまらん合宿か……」そう思う私の脳裏に「脱走」の二文字が浮かぶ。 悶々とした思いを抱えながらラジオを聞いているとCMが流れてきた。 「ただいま、夏真っ盛り! プールに行くならナガシマスパーランドプール!」 この言葉にやられてしまった。