「原爆犠牲者の顔を想像できるような『語り』を」…核廃絶へ若者ら決意新た
坪井さんの体験を2日間にわたって直接聞き取り、高校2年の時に冊子を作成した。普段は背筋を伸ばして語る坪井さんが、自らの受けた結婚差別を話す時には小さく縮こまって涙をぽろぽろ流す姿を見て、原爆は直接の被害だけでなく、人々の心にも深い傷を与え続けることを実感した。
数日前、地下鉄の車内で、女子高校生らが「グロいの嫌なんだよね、広島の(平和記念)資料館とか」と話すのを耳にし、ショックを受けた。その直後に飛び込んできた平和賞のニュース。「原爆で犠牲となった人々の顔を想像できるような『語り』をしていかなければ」と身が引き締まった。
初期の反核運動を率いて「反核運動の父」と呼ばれた森滝市郎(いちろう)さん(1994年に92歳で死去)の次女、春子さん(85)=写真=は来秋、日本だけでなく冷戦下の核実験などで被害を受けた人々を世界各国から広島に招く「世界核被害者フォーラム」の開催を計画している。
被爆で右目を失明した市郎さんは、核実験が行われるたび、広島市の平和記念公園で原爆死没者慰霊碑を背に座り込んだ。その回数は約500回。海外メディアから理由を聞かれ、「私は犠牲者の魂を背負っている」と答えた父の姿が、春子さんの胸に残る。
春子さんは「平和賞を喜びで終わらせてはいけない。先人たちの血のにじむような努力を忘れず、今こそ世界に核の恐ろしさを知ってもらい、核廃絶の道を歩まなければ」と力を込めた。
被団協は1956年8月の結成宣言でうたう。
〈人類は私たちの犠牲と苦難をまたふたたび繰り返してはなりません〉
(この連載は、広島総局 小松大騎、中安瞳、山下佳穂、長崎支局 勢島康士朗、上山敬之が担当しました)