キラー・カーン追悼…アメリカでの出世を見てきた先輩レスラーが語った思い出「小切手と預金通帳を見せて口説き落としたものの、妊娠を聞いて日本への逃亡を企てた。しかし…」【週刊プロレス】
“大巨人”アンドレ・ザ・ジャイアントの足を折ったことで遺恨試合に発展。キラー・カーンとなってからアンドレとのシングルマッチは39試合おこなわれている。その日本におけるハイライトは、「第5回MSGシリーズ」優勝決定戦での一戦だろう(1982年4月1日、東京・蔵前国技館)。メインイベントとして全米各地で激突した際は、ワンマッチで1万ドルを稼いだまさに“ドル箱カード”だった。今回は日本プロレス時代の先輩であるミスター・ヒトが専門紙の連載で明かしたカーンのお金にまつわるエピソード。(文中敬称略/橋爪哲也) 【蔵出し写真】キラー・カーン戦で足を骨折して入院したアンドレ・ザ・ジャイアント
キラー・カーンは彼女(シンディ夫人)と結婚するとき大変だったんだ。 彼女はプロレスファンじゃなかったから、アリーナに行ったことはなかった。カーンがタンパにいる頃に知り合ったんだけど、働き者で真面目な娘だったよ。 その頃、カーンはフロリダでトップを張ってたな。ニューヨーク(WWF=当時、現WWE)に入る前だから、まだ全米で有名になってたわけじゃなかったけど。それでも週に2000ドルぐらい稼いでたよ(当時のレートで約40万円)。彼女はスーパーのレジ打ちだったから、1週間、一生懸命働いても200ドルぐらいにしかならない。 カーンはオフィスから渡された小切手を見えるところに何げなく置いとくんだ。テーブルの上とかにね。本人は何気なく置いたつもりなんだろうけど、そんなことするヤツいないよ(笑)。でも彼女は、それを見て“エッ、こんなに稼いでるの!?”ってビックリしたんだろうな。カーンの作戦は、まんまと成功したわけだ。 でもカーンの作戦はそれで終わらないんだ。追い打ちをかけるように預金通帳を見せて。タンパにいた間、4カ月分のギャラが記帳されてるからね。それを見て彼女もクラクラってなったんだろうな。言葉じゃなく、数字で口説いたってわけさ。 そうこうしてるうちにいい仲になって子供ができた。そして彼女に「認知してほしい」って言われた。カーンはあんなゴッツイ体してるくせに気が小さくてね。まだ結婚する気なかったから、慌てて日本に逃げ帰ろうとしたんだよ。オレのところに来て「こういうわけで日本へ帰ります」って言ったんだけど、オレは「お前、逃げよう空港へ行っても、彼女が訴えてアメリカの警察が手配したら一発で見つかるぞ。お前の顔を見間違うヤツなんていないからな」って言ってやったんだ。そしたら「そうですか……」って大人しくなって。それであきらめがついたんじゃない? そうこうしているうちに彼女が書類を持ってきて、「これにサインをしてほしい」って。あいつもよく見てからサインすればよかったんだけど、気が動転してたのか言われるままにサインして。それが婚姻届けだったってわけだ。 モンゴリアンを名乗ったレスラーは多かったけど、カーンほどピッタリはまったヤツはいないね。一番モンゴリアンらしい顔をしてるよ。 そういえばカーンはバクチも好きだったな。まあ、アメリカをサーキットするレスラーは、みんな好きなんだけどな。バクチっていうより、勝負事が好きなんだろうな。 カーンは仲間うちでやってると強くて勝ちまくるんだけど、カジノだと弱いんだ。やっぱり気が小さいんだろうな。