伊勢ケ浜親方、千代の富士と死闘…綱とり…初金星…弟子の優勝…「節目節目が名古屋」ドルフィンズアリーナでの思い出語った【大相撲】
1965年から大相撲名古屋場所の会場として親しまれてきたドルフィンズアリーナ(愛知県体育館)が、今年を最後に2025年から「IGアリーナ」へと場所を移す。ドルフィンズアリーナは7人が横綱昇進を決めた場所。その中で90年名古屋場所の千秋楽で千代の富士を破り、7度目の綱とりで悲願を達成した伊勢ケ浜親方(元横綱旭富士)に当時の思い出を語ってもらった。 横綱昇進から34年。当時の紙面を懐かしそうにながめる伊勢ケ浜親方から、自然と笑みがこぼれてきた。 「旭富士連覇 綱昇った」という大見出し。親方は「これ、当時の新聞? どこから持ってきたの?」と冗談めかして話したが、おかみさんの淳子さんが大切に保管していた宝物だった。
1990年の名古屋場所。平成初の横綱誕生に王手をかけた千秋楽。7度目の綱とりに挑む旭富士と、絶対的な存在として君臨していた千代の富士との一戦は、まさに死闘となった。 千代の富士の上手投げに、旭富士は深く差した右からすくい投げを打ち返した。千代の富士は驚異的は足腰の強さで残す。もろ差しの旭富士は左下手を抜いて千代の富士の首根っこを押さえつけ、右からのすくい投げに力を込めた。”ウルフスペシャル”のお株を奪う渾身(こんしん)の投げだった。 「勝った、というよりしんどかった。力を出し過ぎて。表彰式でも吐きそうだった」。さすがの千代の富士も、引き揚げる花道でしゃがみ込むほどの熱戦だった。 当時、既に30歳。「今に見てろよと。一回もあきらめたことはなかったから。出稽古に行って一番稽古するのはおれだもん、若いころから」。親方の歩みを知る人は心から拍手を送った。 大関に昇進した翌年の88年は73勝で年間最多勝を獲得した。すぐにでも横綱かと周囲の期待は膨らむばかり。だが、89年は名古屋場所から5場所連続で勝ち星は1桁と一気に低迷。原因の一つが持病の膵臓(すいぞう)病の悪化だった。 万が一、破裂したら緊急手術。そうなれば時間との闘いとなる。集中治療室(ICU)に入院しながら場所に通った。 「ひどい時は白米と野菜、点滴だけで15日間相撲を取った。握力も20キロぐらいまで落ちた」 特に暑い7月に悪化することが多かった。復調を感じ始めたのは90年春場所。握力も80キロまで戻り、千代の富士とも稽古場で渡り合えるようになっていた。とはいえ壁となっていた千代の富士とは、それまで4勝29敗1不戦勝。過去のデータを大一番で覆した。