41歳の格闘家、修斗プロデビュー 「絶望」から17年越しの道のり 沖縄
壁を乗り越え、プロ選手として立ったリングから見える景色は、レフェリーをしている時と違って見えた。ケージ(金網)の向こうから観客の視線が自身に向けられている。試合前、41歳の「新人格闘家」は周囲を見渡しながら、会場の雰囲気を確かめていた。プロを志してから17年越しのデビュー戦だった。 【写真】19歳と対戦する41歳のプロシューター
19歳の対戦相手を果敢に攻め、1ラウンドでの圧勝。観客の前で、震える声でこう自己紹介した。 「プロシューターの小生隆弘です」。支えてくれた周囲に感謝の思いがこみ上げ、袖口で顔をぬぐった。 4月14日に沖縄市のコザミュージックタウンで開かれたプロフェッショナル修斗公式戦沖縄大会で、プロデビューを果たした小生(おの)隆弘さん(41)。プロ格闘家でもある妻の由紀さん(41)と2016年、名護市に格闘技ジム「グランドスラム 沖縄 A・P・P」を開き、格闘技の楽しさを伝えてきた。40歳を超えてから、打撃と組み技を融合させた日本生まれの総合格闘技「修斗」のプロのリングに立つまで、苦しく長い道のりがあった。 医師から告げられた「想像もしなかった現実」 福島県出身。中学、高校はレスリングに熱中し、県代表として全国大会にも出場した。卒業後は上京し調理師として働いたが、格闘技への思いは捨てられなかった。当時はKー1(キックボクシング)や総合格闘技イベントのプライドが全盛期。テレビなどで試合を見ていると「やっぱり格闘技をやりたい」という気持ちは募っていった。
24歳で仕事を辞めて格闘家として生きる道を選択。だが、トレーニングを積んでいた小生さんに待っていたのは、想像もしていなかった現実だった。 アマチュアデビュー戦を前に受けた検査で、医師から「くも膜のう胞」の診断を受ける。脳を覆うくも膜に髄液が袋状にたまる先天性の病気だった。医師は試合に出ることを止めた。 「何言ってるのかなと思った。『仕事も辞めたんだよ』と食い下がったけど、ダメなものはダメと言われた」。言葉にできない絶望を前に、泣きながら病院をあとにした。トレーナーが他のリングドクターにも聞き回ったが、結果は同じだったという。 沖縄へ移住、名護で始めたジム 突然の転機 「格闘技を見るのも嫌になった。格闘家になるために住んだ東京にいる意味も分からなくなった」。診断から半年後、小生さんは沖縄に住んでいた兄を頼り、移住した。農業の手伝いをして生計を立て、格闘技から距離を置く日々が続いた。