「男らしくしなさい」パリコレ“トランスジェンダーモデル”にして実業家の矢神サラが幼少期に感じた生きづらさ。「骨切り」の整形と性転換で総額2000万、夜の世界に憧れて…
痛みがすごくて呼吸ができなかった整形手術
–––––はじめて整形したのは、何歳のときですか? 19歳のときに、瞼を二重に埋没しました。それからは「とにかく可愛くなりたい」という一心で、お金を貯めては整形し続けています。やっぱり、美女が得する世の中だと私は思っているので。 –––––整形には、今までどれくらいお金をかけましたか? 途中から数えるのをやめちゃったんですけど、細かいものを含めると、2000万円は超えていると思います。「骨切り」だけで500万以上はかかっていますし、目は修整などを含めて200万くらい、鼻は100万くらい、前頭部の植毛で100万くらい、豊胸で200万くらい。あと、助軟骨を抜いて小鼻の付け根部分に入れて、ほうれい線が目立たなくなるようにする手術もしましたね。ほかにもいろいろやっているので、この顔はかなり作り込まれたものなんですよ。 それに、足回りとお尻の脂肪を吸引して、それをシリコンを入れた胸の上に足してふわふわにしています。それは(PR)案件だったので、700万くらいする手術が無料でした。 –––––ダウンタイムが一番辛かった整形は何ですか? 「骨切り」です。顎とエラと頬骨を削って、中顔面の骨を全部抜きました。ダウンタイム中は痛みがすごくて、呼吸ができないんです。 血がずっと出てしまうんですが、横を向くと血が詰まってしまうので、横向きで寝られないんですよ。3日間くらい入院したんですけど、本当に死ぬかと思いましたね。口が全然開かなくて、食事は2週間流動食でした。それに術後2年間くらい、ずっと顔が腫れている状態でした。
「+α」を提供するのがプロ
–––––はじめて夜の仕事をしたのは、何歳のときですか? 23歳のときに歌舞伎町にある老舗ゲイバー「ひげガール」で働き始めました。それまでは、普通に飲食店などでバイトをしたり、アパレルで正社員として働いたりしていました。 夜の世界に対してずっと憧れはあったんですけど、厳しいイメージがあって、私には向いてないと思っていたんですよね。でも「このままじゃ人生変わらない」という気持ちがあり、お金も稼ぎたかったので、「自分の人生、一発逆転したい!」と思って飛び込んでみました。 –––––「ひげガール」で働いてみて、どうでしたか? 上下関係が厳しく、「先輩は絶対」って感じでしたし、弱肉強食の世界でもありましたね。 お客さんからすると、女の子としゃべりたいだけだったら、普通のキャバクラに行くじゃないですか。 でも「ひげガール」のお客さんは、話が面白いとか、行動が面白いとか、見た目が面白いとか、何かしらの「+α」を求めているんですよ。それを提供するのがプロなんだなと、先輩たちの姿を見て学びましたね。ここでの経験が、私の水商売における礎(いしずえ)になっています。 –––––夜の仕事を始めた当初、どんなことが大変でしたか? 最初のころは、本当に毎日潰れて吐いていましたね。当時のお店は毎日焼酎をロックで飲むお店だったんですけど、私は焼酎が体に合わなすぎて……。先輩の席についているから断ることもできなくて、大変でした。今では良い思い出です(笑)。 **************** 後編では、性転換手術にいたるまでの葛藤や、どのようにして「トランスジェンダー界の女帝」と呼ばれるまでに成長したのかについて聞いてみた。 取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班
集英社オンライン編集部ニュース班
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