<しゃべってや~>「せのぶら」妹尾和夫 お笑いスター誕生や悪役時代語る
<しゃべってや~>「せのぶら」妹尾和夫 お笑いスター誕生や悪役時代を語る 企画・構成:柳曽文隆 岡本ゆか THEPAGE大阪
関西を拠点にタレント・ラジオパーソナリティ、街ぶら番組「せのぶら」(現在は放送終了)などで多彩な活躍をみせる俳優の妹尾和夫(65)。現在は自身が主宰を務める「劇団パロディフライ」の本公演『「いっぺん整理しましょう」と言った父 』(17、18両日・シアタードラマシティ)の稽古に全力投球中だ。そんな活躍をみせるが、ここまで来るには平坦な道のりではなかった。役者人生は端役から始まり、刑事ドラマや時代劇で悪役を中心にキャリアを積み、東京でコントグループを結成し、大物芸人を怒らせたこともあったという。そんな妹尾和夫の生き様とは?
ライバルはシティボーイズ? 横山やすしさんに怒られた思い出
若手時代からドラマに端役で出演するなどしていたが、28歳の時に友人2人と「コントパロディフライ」というお笑いコンとグループを結成。顔が出たらギャラがあがるし、だからみんな役者を目指していても、お笑いで一回コンビを組んで「顔を出そう」という人が多かったことが動機だという。 当時、同じ事務所だったコント赤信号の渡辺正行は、妹尾にとってはお笑いの師匠だったという。そして、初めて会った時は、妹尾が役者としてはキャリアがあり、渡辺はエキストラによく出ていたとか。しかし、後にコント赤信号の人気に火がつくと、渡辺らの知名度は一気に全国区に。妹尾は「私らはもくもくとやっててもなかなか売れなかったですね」と当時を笑いながら振り返る。 後に「お笑いスター誕生」という当時の人気番組に出演。大阪からネタを持って東京へ出向き、演出家に3~4本持っていくが「全部ダメ」と言われ、泊まり込みでネタを考え本番出演を果たし、5週連続の銀賞を獲得した。 そして、6週目に挑戦した時、妹尾はコント中にセリフを忘れ敗北。この時も何度もダメ出しされ、夜中にやっとOKが出たネタを必死で覚えたが、本番までに覚えきることができなかったという。 番組は、山田康雄と中尾ミエが司会で、同時期に出演していたのは大竹まことらが所属する「シティボーイズ」やコロッケ、イッセー尾形、そして、すでに同番組で人気に火が付きテレビで活躍しはじめていた「とんねるず」などもいたという。「大竹さんは熱心で、よく『おい、パロディフライ、そのネタどっからもってきたんだよ』と聞いてこられましたね」 ほかにも「テレビ演芸」という番組では、司会をしていた横山やすしさんにコント終了後「おまえら能力あるかい。おまえらは所詮モノマネじゃ」と言われた上に、靴の底を指差して「お前らは底の底じゃ」と大勢の客の前で言われたことがあった。妹尾は「そこまで言わんでええやろう」という思いでやすしさんをにらみつけ、ほかのメンバーに必死で止められたこともあった。「悪役の血が騒いで、そうなったのかもしれませんね」 後に大阪の演芸番組で、再びやすしさんと再会。その時は「パロディフライ、お前らうまなったんか。焼肉行くぞ」と言われ、「用事がありまして、事務所に行かなあかんのです」と答えると「事務所にいくやつはろくなやつがおらんど、ほら行くぞ」と言われ、大変や思いました(笑)。 けど、僕は、やすし師匠に頭をたたかれたことがあるから、これはすごい財産になってます。