「Wの悲劇」「野菊の墓」……若手女優の魅力を引きだした澤井信一郎監督の脚本など関係資料展示
松田聖子、薬師丸ひろ子らアイドルの映画女優としての魅力を引き出したことで知られる澤井信一郎監督の関連資料が、東京・調布市文化会館たづくりで2月18日まで開かれている「御意見無用!東映東京撮影所物語」で展示されている。主催は国立映画アーカイブで、運営は特定非営利活動法人映像産業振興機構(VIPO)。入場無料。 展示されている中に、澤井の監督デビュー作となった映画「野菊の墓」(1981年)のポスターがあり、「松田聖子 第一回主演映画」とある。伊藤左千夫原作の悲恋物語でヒロインを演じた松田聖子が野菊を手にしているのが印象的だ。澤井の代表作のひとつである映画「Wの悲劇」(84年)は劇団研究生が女優として開眼する物語。ポスターにはヒロインを演じた薬師丸ひろ子が写っている。 会場には澤井監督の親族も姿を見せた。「野菊の墓」には、ヒロインが悲恋の相手と綿をとりに山へ行く場面がある。親族によれば、生前の澤井監督は、「綿の向きが自然になるよう入念に撮影した」などの苦労話を語っていたという。東映東京撮影所を支えた名監督だった澤井の助監督時代の肉筆の資料もあり、親族は「筆跡に見覚えがあります」となつかしんでいた。そして、「資料の保存や整理に努めてくださった映画会社や関係機関の皆様に深く感謝しています」と話していた。 「Wの悲劇」は、調布市文化会館たづくりの近くにある調布市グリーンホールで撮影が行われた経緯がある。3月2日・3日両日に「たづくり」のくすのきホールで開かれる「名優花盛り!!80年代+90年代プレイバック」で上映される4本の中に「Wの悲劇」も含まれる。同作の上映は2日午前10時30分から。
澤井は1961年大学を卒業後、東映に入社、マキノ雅弘監督らのもとで、20年間にわたり58作品の助監督を務めた。70年代の映画「トラック野郎」シリーズの第1作「トラック野郎 御意見無用」(1975年)では、澤井は鈴木則文監督と共に脚本を書いた。その後、いくつかのシリーズ作品で澤井は助監督を務めたり、脚本に関わったりした。展示の中には、そんな時期の仕事ぶりをほうふつとさせる資料も展示されている。 「トラック野郎」といえば荷台に描かれた極彩色の箱絵が思い出される。その原画が展示されているのも興味深い。
関連展示として、57年に愛知県で1回だけ開催された「日本映画博覧会」の企画書やリーフレットなどが並んでいた。翌58年には日本の映画鑑賞者数はのべ11億2000万人を超え、頂点を迎えた。それ以降、テレビの台頭やレジャー多様化で映画人気は下降する。日本映画界の絶頂期に開催された日本映画博覧会は、入場者がのべ60万人を超えたと伝わる。今回の展示のための調査で、そうした知られざる博覧会の実態が明らかになった。