“作りたい曲”ではない「さよなら」が大ヒット…「小田和正」がオフコースでの苦悩や自動車事故を語った証言録(レビュー)
79年、私が小学五年生の冬。勉強机の傍らのラジオから流れる「もう、おわりーだね」という切ない歌声に心を奪われた。それから今日まで、人生の節目にいつも小田和正の曲があった。だが誰もが知る楽曲と裏腹に、謎めいているのが小田の人物像。本書は豊富な取材と証言を基に解き明かしている。 【写真】ファンの真ん中で歌う「小田和正」の表情がエモい…!発売前に重版した本の写真を見る 「天からのギフト」とまで言われる美しい高音を持つ小田だが、デビュー当時はなかなか売れなかった。「必要とされていない」という意識を強く持ったという。私もフリーの端くれとして、予定がない惨めさは良くわかる。著者は「初期の経験が、小田の意識にはいつまでも染みついている」と分析している。 それでも小田は「納得したことしかしない」という強い拘りの持ち主だ。ただ人気が上がるにつれ、周囲がそれを許さなくなってくる。ヒットが強く求められる中で、小田は「作りたい曲じゃない」曲を送り出す。それが「さよなら」だった。 意志を曲げた仕事でメジャーになる。成功への過程でありがちなジレンマだが、それは時にひずみを生み、悲劇に繋がる。小田にとってはそれが、鈴木康博のオフコースからの脱退だった。本書からは、盟友との別れの計り知れない衝撃が伝わる。 しかしここから新たな名曲が生まれる。後に保険のCMで世に知られる「言葉にできない」。著者は「まさに『言葉にできない』ほどの複雑な思い(略)を乗り越え、最後に『あなたに会えて ほんとうによかった』としたところに、この歌の強さと良さがある」と評している。 ソロになった小田。91年に「ラブ・ストーリーは突然に」が大ヒットする。ギターのカッティングで始まる特徴的なイントロを聞いただけで大学生の自分に戻る、時代を代表する曲だ。ただその時小田は、十年もの「迷いの時期」にいた。曲作りをすると「『また似たようなの書いている』と思えて(略)身動きがとれない感じだった」と語っている。 転機は98年の自動車事故だった。ファンの言葉で自分が「必要とされている」ことに気づいた小田は、迷いから抜け出た。その代表曲が05年の「たしかなこと」だろう。この年私は初めて、コンサートに足を運んだ。 苦悩と挫折、迷いの中から曲を紡いできた小田。底流には、永遠や絶対などこの世にないという諦観が存在する。だからこそ、この瞬間のささやかな幸せを大切にしようと、「同じ風に吹かれて 同じ時を生きてる」私たちを励まし続けている。 [レビュアー]青山和弘(政治ジャーナリスト) あおやま・かずひろ1968年千葉県生まれ。日本テレビで政治部国会官邸キャップ、解説委員などを歴任。分かりやすい解説に定評がある。昨年9月に独立し、メディア出演や講演など幅広く活躍している。 協力:新潮社 新潮社 週刊新潮 Book Bang編集部 新潮社
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