<紡ぐ思い・センバツ2021北海>選手へのエール 野球部OB・60年主将 高屋敷日出夫さん(79) /北海道
◇意識集中し、ひとつに 「見たぞ! 重量打線」。1960年4月7日、毎日新聞北海道版は創部60年目にして初めてセンバツ4強入りを果たした北海の快挙を大きく報じた。法政一(東京)を3―0で降し「マンモススタンドの大観衆から勝利をたたえる拍手がアラシのように起こった」。 高屋敷さんは3番・遊撃手で主将。「チームメートの気持ちが一つになったことが大きかった。厳しいことも言ったが、みんながついてきてくれた」と振り返る。 28年の夏の甲子園以来、実に32年ぶりの4強。続く夏の甲子園は8強、秋の国体では道勢初の全国制覇を成し遂げた。全国大会9勝は、今も野球部史上最高成績として刻まれている。 高屋敷さんはセンバツで15打数6安打と快進撃に貢献。夏の選手権(11打数3安打)、国体(15打数9安打)も合わせ打率4割3分9厘の好成績だった。「相手投手の球をどうはじき返すしか考えていなかった。負けず嫌いなんでしょう。勝負事には必要なこと」 有終の美を飾った国体。会場の熊本県から戻ると、すっかり暗くなった札幌駅周辺の沿道を群衆が埋め尽くしていた。約3万人が道勢初の偉業を祝い、凱旋(がいせん)パレードが行われた。 飛沢栄三監督(当時)を乗せたオープンカーが先頭を走り、高屋敷さんは後続の自衛隊車両から大きく右手を振った。「『手を振って』と運転手の隊員から促されて。人が大勢いたのは分かったけど、暗くてほとんど見えなかったのがよかった。明るかったら恥ずかしかっただろうね」とはにかんだ。 卒業後、富士鉄室蘭に入社。63年、都市対抗野球で白獅子旗(準優勝旗)を手にした。その後、監督も務めた。北海野球部での学びがチーム作りの礎となった。「投手を中心とした守りのチームが基本」 10年ぶりのセンバツに挑むチームは、当時と重なる。「佐藤進(投手)を中心に、ショートが主将で自分たちの時と一緒。選手が意識を集中してひとつになれるかが鍵」 今も現役選手の高屋敷さん。70歳以上が参加できる「古希野球」で、2019年の全国大会は4打数4安打の活躍だったという。「野球のお陰でこの人生を送れている」と目尻が緩む。「高校生は1試合勝つごとに一回り大きく成長する。それを見るのが楽しみでならない」【三沢邦彦】=随時掲載