中村歌昇が語る!秀山祭、吉右衛門への思い<令和を駆ける“かぶき者”たち>
江戸時代の初期に“傾奇者(かぶきもの)”たちが歌舞伎の原型を創り上げたように、令和の時代も花形歌舞伎俳優たちが歌舞伎の未来のために奮闘している。そんな彼らの歌舞伎に対する熱い思いを、舞台での美しい姿を切り取った撮り下ろし写真とともにお届けする。ナビゲーターは歌舞伎案内人、山下シオン 撮りおろし写真で愛でる、中村歌昇の「沙門空海唐の国にて鬼と宴す」白楽天
九月の歌舞伎座で行われている「秀山祭」は、初代中村吉右衛門の生誕120年を記念し、その功績を称えるために俳名の「秀山」を冠して2006年9月に始まった公演である。そして今年の秀山祭には2021年に亡くなった二代目中村吉右衛門の思いを託して、夜の部の『勧進帳』に「二代目播磨屋八十路の夢」という副題がつけられている。弁慶を演じる甥の松本幸四郎さんをはじめ、80歳で弁慶を演じることを目標としていた二代目吉右衛門にゆかりの配役がなされ、今回ご紹介する中村歌昇さんも播磨屋の一人として出演している。 ──秀山祭で印象に残っているエピソードがあればお聞かせください。 歌昇:秀山祭が始まるちょうど1年前の2005年のことなのですが、私が初めて大人の役で歌舞伎座に出させていただいたのが、同じ9月でした。この時に演らせていただいたのが、まさに今回と同じ『勧進帳』の四天王の一人である片岡八郎だったんです。子役の時代から数年のブランクがあったので久しぶりの舞台となりましたが、初めて自分で顔(化粧)をしなければならないなど、右も左も全くわからない状態でした。 初日が開いて数日経った頃、自分の中で少し緊張が解けてきたのか、花道での台詞が急に飛んでしまって頭の中が真っ白になり、少し間が開いてしまいました。終演後、吉右衛門のおじ様から「台詞が出てこないなんて、決してあってはダメなことだよ。わざわざ劇場に足を運んでくださるお客様にご覧いただくのだから、役者としてやっていくのだったら、どんな時も、常に集中してやりなさい」とお叱りを受け、恥ずかしいやら、悔しいやら、悲しいやらで、泣いてしまいました。その時におじ様がいろいろと強いお言葉で言ってくださったことが私の中で今なおすごく残っていますし、そういうことがあったのにもかかわらず見捨てることなく、それからお亡くなりになるまでずっとお世話になりっぱなしでした。歌舞伎俳優として歩み始めたばかりの頃に舞台に立つ上で大切なことに気づかせていただいたこと、本当にありがたく思っています。 その後、2006年の初めての秀山祭では『車引』の杉王丸、2007年は『竜馬がゆく』や『二條城の清正』に出させていただくなど、いろいろな経験をさせていただきました。今年は同じ勧進帳の四天王の役なので、原点に立ち帰る思いで勤めます。 ──吉右衛門さんが弁慶をなさっていたとき、同じ舞台に立っていてどんな光景が記憶として残っていますか? 歌昇:『勧進帳』には吉右衛門のおじ様だけでなく、幸四郎のお兄さんやいろいろな方がなさった弁慶とご一緒させていただいています。それぞれの良さがあって素敵だと思いますが、吉右衛門のおじ様がなさる弁慶はすごく大きかったですね。身長も高い方でしたが、それだけではなくて、弁慶の背中を眺めているときにその大きさを感じながら、実際の弁慶はこういう人だったのだろうと思わせるような感じでした。四天王は弁慶を後ろから見る機会が多いのですが、おじ様の後ろ姿には、“動かない大きな山”というイメージがありました。おじ様は最後の最後まで、どういう風に演じたら芝居が良くなるのかということを常に考えていらして、生涯をかけて険しい山をずっと登り続けていらっしゃるお姿を目にしていたので、私たちも“吉右衛門”という大きな山を目指さなくてはいけないと思います。同じ舞台に出させていただいたときの光景は忘れられないです。 ──昼の部では『沙門空海唐の国にて鬼と宴す』に初演に続いて出演されますが、どのような作品でしょうか? 歌昇:私にとって原作者の夢枕獏さんのお名前を聞いて真っ先に思い浮かぶのは、読破している『陰陽師』なのですが、『沙門空海唐の国にて鬼と宴す』は初演で出演させていただいたときに知りました。当時は小説を歌舞伎化する“原作物”の新作に出演する機会はなかなかないことだったので、まずは夢枕さんが描く作品の世界観に自分が入ることができることがとても嬉しかったです。 幸四郎のお兄さんが演じていらっしゃる主人公の空海という人物は、私たち日本人からすると、本当は近いのに遠い存在でもあって、名前は知っていても実際にどういう人だったのか、あまり知られていない面が多々あると思います。ですから、2016年の初演ときは、この作品で空海が日本を離れて中国で活躍する姿を中国の歴史と織り交ぜながら描かれていることにワクワクしました。さらに、この作品の空海は普通のお坊さんではなく、真言を唱えることで呪術のようなものが使える一風変わったお坊さんです。劇中には兵馬俑が登場するというファンタジーな要素もあるので、作品を通して1本の映画をご覧いただいているような感覚を味わっていただけたらと思います。 ──歌昇さんが演じる白楽天はどういう人物だと捉えていますか? 歌昇:白楽天は詩人で、玄宗皇帝と楊貴妃を題材にして書いた『長恨歌』という長編の漢詩の作者です。本作では彼はまだ青年期で、心から詩を愛しているというオタク気質なところがあり、李白に憧れつつ、皇帝陛下に仕えながらも詩を通して楊貴妃という人物を描きたいと思っています。そうした中で白楽天は空海という人物と出会って、様々な事件に巻き込まれつつ、その『長恨歌』を書き上げるという件を演じさせていただいています。 自分の好きなもの、自分が描きたいものに相対したときに、興味が赴くままに猪突猛進していく人物なのですが、単に頭が良くてまっすぐなところだけではなく、一癖あるような面を表現したいです。例えば、白楽天は、自分の詩を書くために妓楼へ行きます。尊敬している李白に酒を飲めば飲むほど言葉が湧いてくるというエピソードがあったことからそれを試そうとしたり、妓楼の女性たちに楊貴妃を真似て踊ってもらうことで何か言葉が思い浮かぶのではないかと思ったり……。空海とはその妓楼で初めて会うのですが、お互いに「この男、なかなかすごいな」と思って行動を共にしていきます。ですから、幸四郎のお兄さんが演じる空海というキャラクターに対しても負けないようなキャラクターに仕上げたいと思っています。 ──本作の見どころについて教えてください。 歌昇: 場所は唐の国という設定なので、歌舞伎の大道具では見られないようなセットや色づかいなど楽しんでいただけるのではないかと思います。衣裳や鬘は初演と同じですが私は中国人という設定なので普段の歌舞伎とは違いますし、出てくる道具や持っている刀も違いますから、どこを切り取っても新鮮な感じがします。新作なので堅苦しくないですし、それでも“やっぱり歌舞伎だ”と感じる要素も沢山あるので楽しんでいただけるのではないでしょうか。 また、幸四郎のお兄さんのエネルギーが空海に重なるところがあって、空海に引き寄せられて皆が集まって宴をして、そこにいろいろな歴史的な事件が起きていくことがものすごく面白い作品だと思います。初演とは趣向が変わっているところも多く、前回ご覧になった方も同じ作品の再演という印象は持たないのではないかと思います。宴では幸四郎のお兄さんが琵琶の演奏と歌唱を披露してくださるところも必見です。 ──2024年は、若手の挑戦の場である新春浅草歌舞伎の主要メンバーとしての出演が最後となりましたが、この一区切りには何を感じていらっしゃいますか? 歌昇: 新春浅草歌舞伎では吉右衛門のおじ様から教えていただき、いくつもの作品を演らせていただくことができ、本当にありがたい機会に恵まれたと思っています。今年は『熊谷陣屋』を幸四郎のお兄さんに教わり、勤めさせていただきました。直接吉右衛門のおじ様に教えていただくことは叶いませんでしたが、おじ様が熊谷直実をなさったときに私も何度か四天王で出させていただいたことはありました。何度も拝見していたつもりでしたが、自分はまだまだ勉強不足だと思いました。これからは、おじ様の意図やお気持ちをしっかりと思い出して、その時の感覚や見ていたものをしっかりと考えながら演じていかなければならないと思います。そして、教わったお役を演らせてもらえる役者にならなければなりませんし、自身でその場所を作っていかなければならないと思います。私の歌舞伎俳優としての人生は、一生をかけておじ様の姿を追い求めていくことなのかもしれません。 新春浅草歌舞伎は私たちの上の世代の方々が築いたものなので、そのレールに乗せていただいてきました。ですから、これを機に自分たちの力でジャンプをして、自分たちの力を発揮できる場を作っていきたいです。 ──歌舞伎以外で夢中になっていることはありますか? 歌昇: 演劇作品を観に行くのが結構好きで、パルコプロデュースで上演されているショーン・ホームズという英国の演出家の方が手がけている作品はすべて拝見しています。『セールスマンの死』『桜の園』、今年は『リア王』を観に行きました。演出の手腕もすごいですし、こういう世界があるのかということに衝撃を受けました。『リア王』の世界なのに、ウォーターサーバーが舞台に置かれているんですよ! 主演の段田安則さんが本当に素敵でした。この観劇が歌舞伎に生かせるかどうかはわかりませんが、いろいろなところにアンテナを立てて吸収しようと努めています。