「プロ野球90年」お笑いコンビ・サンドウィッチマンが語る楽天と歩んだ20年「世に出てイーグルスに呼ばれたかった」
富澤 僕はラリー・パリッシュですかね。ヤクルトは外国人選手を取るのがうまいですよね。中学の美術の時間に人を描くっていう課題で、パリッシュを描いた覚えがあります。印象に残りますよね、ワニ食うのかよ!って。 ▽楽天に呼ばれるために 伊達 僕らは1998年から東京にいたので、楽天創設の時はもう東京にいました。いよいよ仙台に球団ができるのかと。街の大きさとしては、政令市の中で仙台にないのはおかしいなってずっと思っていたんですけど、ドーム球場もないし、一番大きな球場は県営宮城球場だったので、ロッテが使っていた頃のイメージですよ。そこを本拠地にして球団をつくるっていうんで、最初は大丈夫かなって思いましたね。あそこでプロ野球やって何人入るんだろうって。チームができたのはめちゃくちゃうれしかったんですけど、当時僕らは世に出ている状況じゃなかったので見られないんですよね。お金がなくて衛星放送に入っていなかったし、仙台にも帰ってこられない。なんとか世に出て、楽天イーグルスに呼ばれる露出をしないと、と思っていました。
富澤 M―1グランプリの予選に楽天のユニホームを着て出たりしていました。気付いてもらえたらいいなという思いでやっていましたね。 伊達 2007年にM―1で優勝して08年からイーグルスのイベントに呼んでもらって、めちゃくちゃうれしかったです。始球式とかいろいろやらせていただいて、「これがしたかった」と思いました。 ▽復興速めた日本一 伊達 1年目は大変でしたね。初戦は岩隈久志さんで勝ったんですけど、2戦目で大変なことになりましたからね。 富澤 ラグビーみたいなスコア(0―26)でしたね。 伊達 当時は寄せ集めって言われましたけど、仙台にプロ野球チームがあるということに意義がある気がしてね。これからどんどん強くなっていくんだろうなと。2011年に東日本大震災があって、(当時楽天の選手会長だった)嶋基宏さんが「見せましょう、野球の底力」「見せましょう、東北の底力を」。あれは名言ですよね。すごく涙の出るというか、みんなが奮い立つ素晴らしいコメントだったと思います。