能登にも迫る酷暑「今は仮設に入るのが生きる希望」…建設待ち、避難なお2300人
[能登地震6か月]<1>
元日の激震から1日で半年。能登半島地震の被災地は、復興を信じ、一歩ずつ進んできた。しかし、今も2000人超が避難を余儀なくされ、先を見通せない日が続く。人口が流出し、雇用、医療、教育にもひずみが出る中、街の未来をどう描くか――。奥能登から報告する。 【表】石川県の主な被害状況(6月27日現在)
体育館に雨の音が響く。6月30日朝、石川県輪島市立大屋小学校。「一人でいるといろいろ考えちゃう。みんないるから大丈夫だと思える」。福光昌江さん(70)は表情を緩めた。
同校の避難所には、50~80歳代の男女約20人が身を寄せる。福光さんが過ごすのは、段ボールと布で仕切られた、体育館の2畳ほどの空間。昼食や夕食の仕出し弁当に、ちょっと辛めだからと自分で買ったカット野菜を混ぜて食べる。
気温30度を超える日もあり、暑さが体にこたえる。最近、エアコンが設置されたが、「私、暑がりやから。熱中症が心配」。真夏を前に不安は尽きない。
同校近くの自宅で、夫の達矢さん(当時75歳)と居間にいた時、激しい揺れに見舞われ、屋根の下敷きになった。約7時間後に救出され、全身に打撲を負った。46年連れ添った夫は、帰らぬ人となった。
地震翌日から、近所の叔父宅や妹宅で2週間ほど過ごし、金沢市内の次男(43)宅に移った。病院の検査で乳がんが見つかり、3月に手術、入院した。
頭に浮かぶのは、生まれ育った輪島のことばかり。「このままやったらダメや」と5月下旬に帰郷し、避難所に入った。でも、ふと達矢さんを思い、涙が出る。
長年、輪島塗の営業・販売に携わり、家では穏やかな人だった。仮設住宅に入って生活が落ち着いたら、お寺に預けた遺骨をお墓に納めたいと願うが、その一歩が遠い。「今日明日のことしか分からんけど、今は仮設に入るのが生きる希望」
石川県内では、約2300人が避難生活を続けている。完成した仮設住宅は6月27日時点で、計画(6810戸)の約7割の4943戸。半年時点で計画の9割超が完成し、避難者も200人以下だった2016年の熊本地震に比べ、復旧・復興の歩みは遅い。