DA PUMP・KENZOが明かした「ブレイキンがオリンピック競技になるまでの葛藤」
ブレイキンをスポーツ競技として発展させていいのか
この日の記者会見で、ブレイキンの見どころなどを改めてメディアに解説をしたのが、JDSF(公益社団法人日本ダンススポーツ連盟)の本部長である石川勝之氏(ダンサーネーム:KATSU ONE)。 国内外の大会で実況(MC)、解説を務め、2018年のブエノスアイレス・ユースオリンピックでは日本代表監督を務めた先人ダンサーだ。現在も日本代表チームのコーチを兼任し、ブレイキンの競技化を牽引してきた一人だが、当初はカルチャーであるブレイキンを競技として発展させることへの葛藤もあったという。同じ先人ダンサーで古くから交流のあるKENZOが明かす。 「KATSU ONEから電話があって、『(ブレイキンが)オリンピックで持ち上がると、カルチャーにも影響が起きてしまうかもしれない。どう思う?』って相談されました。かなり悩んでいて、葛藤していたんですね。でも、僕は一言『やるべきだ』と伝えました。なぜなら、カルチャーをわかっている人がやるべきだと思ったからです。 やっぱり日本のダンスシーン、世界のダンスシーンの創世期からたくさんの人が、いろんな思いを持って頑張ってきた。今の恵まれた時代になってきて、選手の皆さんも長くダンスを続けることができて、さまざまなダンスシーンを見て、この時代を生きてきて、今がある。 だからこそ、パリという大きな舞台で、誰もが知るオリンピックで、誰もが見るテレビで流れるところで、ブレイキンをみせて、観客やファンだけでなく、世界中のいろんな人を感動させてくれたら嬉しい。たくさんの思いを多分背負っていると思うので、僕は(代表の)4人が最高のパフォーマンスをすることを祈っています」
Shigekix(半井重幸)は日本選手団の旗手に
相手を傷つけないブレイキンの「バトル」は、歴史や意味を持ったフォーマットなのだ。勝つためには、地位も身分も関係なく、身体一つで周りをアッと驚かせ、相手を圧倒するパフォーマンスを見せればいい。相手に触れず、エネルギーを爆発させ、周囲を感動させることを目指すマインドは、平和の祭典にふさわしい。 ちなみに、選手たちのユニフォームも珍しいことにお揃いではない。個性を発揮するカルチャーが尊重され、デザイン約60種から各々が選んだという。人々が自由と平等を求めた「革命広場」である、コンコルド広場で開催されることも意義深い。 不良の遊戯と訝しげに見られていたブレイキンは、先人たちの思いを積み重ねながら急速に発展した。オリンピック選手たちは、人間性でも多くの人を魅了するロールモデルのような逸材だ。日本のエース、Shigekix(半井重幸)は、日本選手団の旗手にもなった。 先人たちの葛藤や願いが込められたハレの舞台に挑む代表選手は、どんな言葉を残してパリへと発ったのか。 <取材・文/松山ようこ>
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