「ハローキティ」50周年、「カワイイ」魅力の謎と進化をたどる
30年かけて勝ち取った海外での成功
絶好調の国内とは対照的に、海外では苦戦した。1974年米国に子会社を設立、以後欧州、アジアにも積極的に進出し、ハリウッドでは映画制作まで手掛けていた。しかし、86年、信太郎が息子・邦彦を4代目社長として米子会社に送り込んだ時には、累積赤字が36億円に達していた。販路を持たない米国市場で、邦彦はカタログと商品をトランクに詰めて米国大陸を行脚し、意地で販路を広げていったという。 娯楽の少ない内陸部や地方都市にまで小売店舗「Gift Gate(ギフトゲート)」を展開し、サンリオの雑貨を届け続けた時代が、ハローキティの米国攻略の第一の“地層”を形成する。「日本からきたカワイイ小物」に心ときめかせた子どもたちの集合的な記憶が世代の記憶となり、時を経る中でそれぞれの世代の記憶が積み重なり、ミルフィーユのような地層を形成する。キティはこうして米国市場に浸透していった。 2000年代後半には、米国向け商品を現地で開発・デザインするようになる。高級宝飾品や化粧品、アパレルブランドとのコラボも推し進めた。この「デザインの革新」に呼応したのは、マライア・キャリー、パリス・ヒルトン、ケイティ・ペリー、レディー・ガガなどの米国のセレブ達であった。 彼女たちは、80~90年代の少女時代、サンリオの「カワイイ小物」にときめいた記憶を持つ。LVMHやスワロフスキーといった高級ブランドとキティのコラボは、「子供の頃にときめいたキャラ」を大人になっても愛好したり見せびらかしたりすることを可能にしたのである。SNS時代の到来と相まって、ライセンス商品を身に着けたセレブたちが、キティ好きを発信し、新たなキティの魅力を広めた。 サンリオはいまや130以上の国と地域でビジネスを展開する。地域別でみると、海外売上高が100億円を超えたのはキティ生誕30周年の2004年3月期。10年後の14年には同300億円超で、海外売上高比率が30%を超えた。