【角野隼斗】世界へ届ける音と夢。ワールドデビューを果たした音楽家の素顔
東京大学大学院修了の知性派、ショパン国際ピアノコンクールのセミファイナリスト、YouTubeチャンネルの登録者数は135万人超え。華やかな経歴と実力で注目のピアニスト・角野隼斗さん。深く静かに音と向き合う彼の心の深遠にアプローチした。 【写真】角野隼斗さんがいつも持ち歩く必需品は? ◇Hayato Sumino 1995年千葉県生まれ。2018年、東京大学大学院在学中にピティナ・ピアノコンペティション特級グランプリを受賞し、本格的に音楽活動を始める。2021年、第18回ショパン国際ピアノコンクールでセミファイナリスト。これまでにシカゴ交響楽団、NHK交響楽団、読売日本交響楽団などと共演。2024年10月30日には世界デビューアルバム『Human Universe』をリリース。全国ツアー2025"Human Universe"も開催予定。
◆ピアニストより数学者のほうが向いていると思っていた 角野隼斗さんのピアノには垣根というものがない。ショパン国際ピアノコンクールのセミファイナリストという輝かしい経歴を持つ一方、「かてぃん」の名前で配信しているYouTubeチャンネルでは、クラシックにとどまらず、ジャズからアニメソング、果てはキユーピー3分クッキングのテーマ曲までを即興で独創的にアレンジ。 やすやすとジャンルを超える自由な演奏は、クラシックになじみの薄い人たちからも支持を得て、現在、チャンネル登録者数は135万人を超えている。 「YouTubeを始めたのは、自分の弾きたいものを発信したいという思いからです。YouTubeを観て、コンサート会場に足を運んでくださる方もたくさんいらっしゃるので、僕にとって大事な活動の場です」 クラシックの堅いイメージを払拭するように、リラックスしたスタイルでピアノに向かう姿も印象的だ。 「服は基本、曲を軸にして決めています。『千と千尋の神隠し』のテーマ曲では、映画の世界観を邪魔したくないので真っ白の服に。ポケモンのときは1作目のジャケットの色合いに合わせて赤と緑のパーカを着たり(笑)。ジャズやカプースチンなどの現代音楽を弾くときは柄シャツが多いですね」 魔術のように音を操り、クラシックの枠を超えて活躍するまさに異能の人。でもその活動は決して浮ついたものではなくて、圧倒的なスキルと楽曲への深い理解に裏付けされたものだ。 角野さんがピアノと出合ったのは3歳の頃。母親がピアノ講師で、「物心ついたときから家のピアノを自然とさわるようになっていた」という。才能はすぐに開花し、小学生のときには、数々のコンクールで入賞するように。 「とにかくホールで弾くのが好きだったんです。いい環境で、いいピアノが弾ける。それが楽しくて、ピアノを弾く喜びにつながっていました」 【ピアノを弾くときは無心で。ただピアノと一体になりたいと思うだけです】 楽曲を即興でアレンジするのも小学生の頃からやっていたという、まさに天才キッズだったのだ。音楽に加えて、数学でも特異な能力を発揮。中学・高校と都内有数の進学校に通い、大学も音大ではなく、東京大学の工学部へ。 「そもそも中学・高校時代は、クラシックより、ジャズやロックに傾倒して、バンドでドラムをやっていて(笑)。ピアニストになるなんて考えてもいなかったので、音大より、東大のほうが人生の選択肢が広がると思ったんです」 しかし大学院生のとき、国内最大級のピティナ・ピアノコンペティションで特級グランプリを受賞したことをきっかけにピアニストになることを決意。一見、回り道したように見えるが、「学生生活でさまざまな音楽に触れたことは、自分の音楽を形づくる上で強みになっているし、大学で研究した音響工学も無駄にはなっていない」と言う。 「音の波形を学んだおかげで、音を数学的に扱うことが自分の中にインストールされた感じで。音の抽象的な印象だけじゃなくて、その裏付けを取れるようになりました。たとえばピアニストは、人によって音色が全然違いますよね。それはなぜか。僕たちが“音色”と呼んでいるものは何なのか。データを取って分析したりしています」 数学的に音にアプローチするというとドライなイメージを持つかもしれないが、ひとつひとつの音粒と向き合う切実さは、むしろ演奏をエモーショナルなものにしている。冬の空気のように澄んで美しい音色、歯切れのよいリズムは躍動感に満ちていて、彼が楽曲の鼓動と溶け合っているのがわかる 「著名な指揮者のバーンスタインの言葉に『Life without music is unthinkable.Music without life is academic.』というのがあります。音楽はただの学問になってはダメで、音楽にその人の人生が乗って、自然と感情が湧き出てきたときに、いいものが出てくるのだと思います。だから僕も音の分析はするけれど、弾くときはできるだけ無になりたい。ピアノと一体になりたいという思いだけです」 言葉を選びながら丁寧に静かに話す口ぶりは、その演奏とよく似ていた。 ◆ジャズクラブに行くときは、革ジャンが欠かせない!? 【音楽はすでに宇宙にあって、それを見つけに行くもの。そんな考えに惹かれます】 近年は国内外でのコンサートツアーや、有名オーケストラとのコラボレーションなど、順風満帆にキャリアを重ねる中、昨年4月からニューヨークに部屋を借りて、東京との二拠点生活に。 「仕事が順調だっただけに、このまま日本にいたら、これで満足してしまうだろうと思ったんです。まだ勉強したいことがあったし、世界を知りたいと思ったんですね。ニューヨークにはジャズや現代音楽、ミュージカルにアートと最新のものが全部ある。いろいろな刺激をもらえると思いました」 セントラルパークでのんびり過ごしたり、MoMAなどの美術館を散策したりとインプットの時間を増やしている。ときには小さいジャズクラブに行ってアドリブで演奏することも。 「飛び入りでセッションすることもあれば、友達のライブに1曲だけジャンプインしたり。曲名が事前にわかっていることもありますが、すべて即興で、その場で、どうぞご自由にという感じ。とても勉強になります。スモールクラブに行くときの服装は、たいてい革ジャンですね。『Hey, man!』みたいなノリの場所では、特徴のない服を着ているとおじけづくんですよ(笑)。でも革ジャンだと少し強気になれる。鎧みたいなものです」 ◆アルバムで向き合った天空の宇宙と心という宇宙 そんな充実したときを過ごす中で作られたのが、角野さんの世界デビューアルバムとなる『Human Universe』。コンセプトは「宇宙」だ。 「自分のバックグラウンドのひとつでもある科学、数学と音楽との接点を考えた結果、古代ギリシャの“天球の音楽”という概念にたどり着きました。これは天体が音を発し、宇宙全体がハーモニーを奏でているという考えなんです。つまり音楽は人間が作り出すものではなくて、どこかにすでにあって、それを見つけに行くというようなとらえ方。これが自分の音楽美学にすごく近いものがあって。それで宇宙をコンセプトにしようと思いました。 『Human Universe』というタイトルにしたのは、“自分の中の宇宙”という意味も込めたかったから。もっとも広い天空の宇宙をテーマにしながら、小さい自分の心を表現しようというアイロニカルなタイトルです」 広大な宇宙をグランドピアノの広がりのある響きで表現し、アップライトのピアノでは静謐で、内省的な心を映し出す。またクラシックから現代音楽まで、ジャンルを超えた選曲も楽しい。 「曲順にもこだわりました。僕が作曲した『Human Universe』は、冒頭と最後、明らかにバロック音楽の影響を受けているので、そのあとにバッハを置いて。坂本龍一さんがドビュッシーを敬愛していたから、そのふたつを並べたり。そんな過去と現在のつながりも感じていただけたらと思います」 角野さんの前に広がるのは、無限の宇宙のごとく、無限の可能性。これからいったいどこに向かうのだろうか。 「長い歴史と伝統を持つクラシック音楽に、時代性を反映しながらどのような表現ができるのか、ということです。たとえばジャズとクラシックを融合したサード・ストリームという流れが20世紀半ば頃からありました。その先駆者がガーシュウィンで、僕も大きな影響を受けています。21世紀に生まれたクラシック音楽を聴いてみると、多様なジャンルの影響を受けた音楽がたくさんあります」 どの方向に進むにしても要となるのはやはりクラシック音楽だ。 「クラシックが300年前から現代まで残っているというのは、それだけ曲自体のパワーがものすごくあるということ。なぜショパンやバッハがあれだけ現代の人にも愛されているのか。それは人間が本能的に惹かれてしまう普遍性をクラシック音楽が持っているからです。僕もクラシックを軸足にしつつ、これまで触れてきたいろいろな音楽のエッセンスを込めた作曲や編曲がもっとできたらと思っています」 シャツ¥136,400/ドリス ヴァン ノッテン SOURCE:SPUR 2024年12月号「ワールドデビューを果たした音楽家の素顔 角野隼斗、世界へ届ける音と夢」 photography: Takemi Yabuki 〈W〉 styling: Yuto Inagaki 〈CEKAI〉 hair & make-up: MAIMI interview & text: Hiromi Sato