渡辺謙「日本はリスクを恐れすぎているんじゃないかな」危機感を抱く映像業界の呪縛と観客の成熟度
世界標準のエンタメを受け取る観客の成熟度
──実在の事件を題材にした人気長寿シリーズのプロデューサーなど、常に複数の訴訟を抱えているヒットメイカーもいますよね。 去年最終シーズンが配信されたNetflixの『ザ・クラウン』というドラマは、英国王室の人間ドラマをすべて実名で描いているんですよね。この作品にもシリーズの途中で英国政府から物言いがつきましたが、それで製作や放送を中止するということはなかった。 それぞれのキャラクターや時代背景が折り重なって、でも最後はちゃんと収まるところに収まっていく、脚本のレイヤー(解像度)の深さに毎回感心しました。 日本で『エンペラー』というタイトルでドラマなんてやれます? まあ無理でしょう。それは極端な例かもしれないけど、実名でやらないと全然、そのすごさが伝わらないという題材はあるからね。 今、僕の知り合いのプロデューサーが抱えている、ある実話を題材にした企画があるんだけど、日本では無理だろうから海外で作っちゃえばいいんだよと思いますね。 ──確かに日本人は海外から入ってくるものに対しては寛容ですね。 それがずるいところなのよ。日本は外圧には本当に弱いから。海外で作られた場合は、よほど挑発的だったりしない限りは「そうだよなあ、そういう事件があったなあ」という感じで終わっちゃったりする。 例えば『ラスト サムライ』(2003)に出演した際に、明治天皇が登場すると聞いてみんな驚いたんですよ。「(配給会社の)ワーナー・ブラザースの前に装甲車が集まっちゃうんじゃないの?」とか、冗談半分で言ったりして。けど、そもそも悪く描いてなんかいなかったから何も起こらなかった。海外のプロダクションが製作したものだと、日本では誰も何も言わない気がします。 ──日本のオーディエンスも、不必要なまでにリスクを避ける日本の映像業界の姿勢には不満を持っている人も少なくないと思います。 具体的に何をどうやって打開していったらいいのかは僕もよくわからないんだけど、製作する側の人間として、もうちょっと腹くくってもいいのかなという気がしていますね。 一方で、世界標準のエンターテインメントを受け取る観客の成熟度という問題もあると思っているんですよ。どこの国の観客にだって未熟な人たちはいるけれど、特に日本はね。原作との違いとか事実との整合性など、細かいことばかり粗探しして揚げ足を取ったり攻撃したりする。 すると、作る側もまた、そう言われることを恐れて日和ってしまう。悪循環だなと。だから日本の観客にも“フィクションはフィクションとして受け取るという成熟度”が必要だと思っているんです。 なんかもう、話せば話すほど、僕の日本での仕事がなくなる気がするんだけど大丈夫かな(笑)。 取材・文/今祥枝 撮影/石田壮一 ヘアメイク/倉田正樹(アンフルラージュ) スタイリスト/JB 衣装協力/BRUNELLO CUCINELLI