「誰とも喋りませんでした」聴覚障害者の“孤独”な避難所生活 適切な支援へ課題は
能登半島地震で被災した人の中には、耳が聞こえない、聞こえづらいなど聴覚に障害のある人たちがいます。 支援が充分でないことで厳しい避難生活を強いられた当事者の思いと課題を取材しました。 【写真を見る】「誰とも喋りませんでした」聴覚障害者の“孤独”な避難所生活 適切な支援へ課題は 耳が聞こえない人や聞こえにくい人たちが交流する石川県白山市の地域活動支援センター「あさがおハウス」 この施設には現在、奥能登で被災し、白山市内に2次避難している聴覚障害者8人が通っています。 ■「手話通訳が必要」避難所は行かず…車中泊を選択 穴水町に自宅のある酒井恵一さん(68)は、同じく耳の聞こえない弟と七尾市内へ車で出かけている時に被災しました。 酒井さんは「止まったはずなのに、思ったよりあれ、揺れるなと思って。信号が青に変わったから出ようと思うんだけれども自分が出られなくて、目の前がものすごい揺れて、阪神大震災の時のテレビの様子が目の前で起こっているんです。めまいがしたのかと思うほどで、すごくびっくりしました」と手話を使って話しました。 何とか穴水町の自宅に戻ると、家具やガラスが飛び散り、中に入るのは危険と判断。避難所に行くことも考えましたが、選んだのは車中泊でした。 酒井さん「穴水の避難所がわからないわけではなかったけど、今この時期に人混みに出てコロナなども心配ですし、全てのサービスに手話通訳が必要になってきますよね。避難所にも手話通訳が必要になってきます。今回白山市には手話通訳者がいてくれるのでいろいろスムーズだけど、やっぱり情報をいち早くキャッチしたいという気持ちはあります」 一方、地域の避難所に身を寄せた人もいます。 ■「誰とも喋らなかった」“孤独な”避難所生活 直面した課題 若柳てる子さん(71)は、ひとり暮らしをしている能登町の自宅で被災しました。 若柳さん「得意のアームカバーを作っていたら揺れ始めて、びっくりしてとりあえず建物から出ました。ご近所さんからこっちおいでこっちおいでと言われたから、ご近所さんのうちでしばらく過ごしました。その後みんなに連れていかれるように中学校のほうに避難しました」 近くの中学校に避難した若柳さんですが、待っていたのは孤独な避難生活でした。