立川らく兵師匠、三遊亭兼太郎さん ごひいき願います !
デジタル時代だが、落語がブームです。講談・神田伯山や浪曲・玉川奈々福の活躍もあり演芸も元気がいい。チケット入手が困難な人気者も相当数います。この勢いに続けと、若手でも有望な芸人さんが多く登場してきました。彼らに注目しているひとり、落語・演芸を長く追い続ける演芸写真家・橘蓮二が、毎回オススメの「期待の新星たち」を撮り下ろし写真とともにご紹介いたします。 【全ての画像】立川らく兵、三遊亭兼太郎 高座の写真
「落語をやらずにいられぬ者」──立川らく兵
連続で同じ演目をかけた後(らく兵師匠が初日、志らく師匠が2日目)「今なら、らく兵の『火焔太鼓』の方が遥かに面白い」お客さまを前に立川志らく師匠がこれほどまで直弟子を絶賛するところを初めて目撃した。更に「技術も落語への取り組み方も必要なものは全て持っている、あとは売れるだけ」10月に行われた真打昇進披露公演の口上に於いて師匠から送られたエールには弟子であっても同業者同士だからこそ感じる際立つ才能への大いなる期待が込められていた。 22歳で上京、交通整理などのアルバイトをしながらお笑いの道を目指していたが“立川談志”という既存の価値観に当てはまらない圧倒的な存在を知り一気に落語の世界に傾倒していった。その後、志らく一門の落語家を多数輩出した「らく塾」に入塾した。ひとりで自分の世界を構築することに適性はあると自覚していたが、プロになることにはなかなか踏ん切りがつかなかったが、志らく師匠による落語のマンツーマン指導、座学、年一回の発表といった授業を4年間続けながら熟考、遂に落語家になることを決意し2006年8月に入門、志らく一門に名を連ねる。ところがここからが順風満帆とは程遠い“しくじりの歴史”を繰り返すことになる。2014年1月酒席でのしくじりにより“初めての破門”、翌年復帰したが2019年に二度目のしくじりで亭号を剥奪され「らく兵」で暫く活動、二年後に亭号を名乗ることを許された後に前座降格など紆余曲折を経て2024年9月に見事念願の真打ち昇進を果たした。 落語から離れている間、応援する周囲の人や師匠に対する申し訳なさと自身への情けなさに心が折れそうになりながらも決して諦めなかった落語への熱い想いもさることながら、理由を付けては度々会う機会を作りずっと気に掛けていた志らく師匠の優しさも忘れてはならない。まるで別れると宣言しながら結局は離れない恋人同士のようだ。 高座では力の抜き方を重視し発声についても稽古は広い公園で声を出すが、本番以外はなるべく声を出さないように注意をする(前々日くらいからは端唄や都々逸などを軽く口ずさんで喉を慣らす)など常日頃から高いプロ意識を持っている。らく兵師匠の何処が好きかと問われたら全身から落語を心底愛していることが丸わかりなもっと言えば落語をやるために生まれてきた人だと思えるところ。珍しいくらいに落語家以外の姿が全く想像出来ない。当たり前のように聞こえるが“落語をやらずにはいられない者”だけが真の意味で“落語をやれる者”になれるのだ。それはまさしく立川らく兵師匠のこと。