「知覧に来ると兄に会えるようで」…旧陸軍特攻隊1036人の冥福祈る 70回目の慰霊祭、全国から遺族160人
70回目の知覧特攻基地戦没者慰霊祭が3日、鹿児島県南九州市の知覧特攻平和観音堂前であった。遺族や関係者約630人に加え、大勢の人が参列した。太平洋戦争末期の沖縄戦に知覧飛行場から出撃した439人を含む、旧陸軍特攻隊の戦死者1036人の冥福を祈った。 出撃した隊員は19歳。望んだ食事、リリク(離陸)日時…知覧の母は家族に手紙で最期を伝えた。でも書かなかったことがある
節目を迎え遺族や関係者の参列者は昨年より100人以上多く、全国から約160人の遺族が駆け付けた。主催する知覧特攻慰霊顕彰会長の塗木弘幸・南九州市長は「日本人の9割が戦争を知らない世代となる中、国難に殉じた御霊(みたま)の精神を継承し、命や平和の尊さを訴えていくことを誓う」と追悼の言葉を述べた。 遺族代表あいさつは、1945年5月11日、知覧から飛び立ち21歳で戦死した桂正大尉=石川県出身=の弟で同県七尾市の桂撤男さん(85)が務めた。 桂さんは、年の離れた兄が陸軍士官学校から夏休みに帰省し、日本刀で竹を切って見せた思い出を披露。「私の人生、いつも兄が後ろから見守ってくれた気がする。知覧に来ると、兄に会えるようで心が洗われる。御霊らもこの観音堂で安らかに眠ってほしい」と話した。
南日本新聞 | 鹿児島
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