寺山修司から言われた、忘れられない言葉は…三上博史が明かす
俳優の三上博史が、人生に影響を与えた人物について語り、おすすめの楽曲を紹介した。 三上が登場したのはJ-WAVEの番組『STEP ONE』のワンコーナー「LISTEN AND LEARN」(ナビゲーター:サッシャ、ノイハウス萌菜)。ここでは11月27日(月)のオンエア内容をテキストで紹介する。
没後40年、いまも「ずーっと一緒」
1979年にデビューし、40年以上にわたりドラマや映画、舞台と幅広いフィールドで活躍する三上は、俳優活動と並行して長年朗読や音楽活動も行っている。 そんな三上の人生に影響を与えたのは、脚本・演出家などマルチに活躍していた寺山修司との出会いだ。 三上:15歳で映画『草迷宮』の出演オーディションで出会ったのがきっかけなんですけど、当時は麻布十番の稽古場に入り浸っていました。その5年後、20歳のときに『さらば箱舟』という映画に出させてもらってそのあと寺山さんが亡くなるんですけど、その後の僕の活動、やってきたこと、やりたいこと、やりたかったこと。やってみるとすべて、寺山さんの手の上にあったというか、そこを逃れられないんですね。15歳のときにその呪いの種を植え付けられてしまったのかと、いまだに思っています(笑)。 当時は、寺山が亡くなる5年前。「入退院を繰り返していて、そんなにお話しをしたことがないんですけど」とした上で、ひとつ忘れられない言葉を明かした。 三上:いまだに覚えているのは、「この先、君はいろんな仕事をしていくのかな。とにかく、仕事場で大きな声で笑うな」と言われたこと。寺山さんのなかではイメージ重視というか、ちょっと影のある少年でいてほしかたったみたいです。早いものでもう没後40年ですが、僕のやりたいこと、やっていくことなどいろいろなところに立ちはだかるので、あんまり離れている感じがしないんですよね。没後20年のときに『青ひげ公の城』という舞台をやらせてもらって、それから20年経って、没後40年で寺山さんのテキストで歌劇をやる。だから、ずーっと一緒ですね。 三上の話を聞いた、番組ナビゲーターのサッシャ&ノイハウス萌菜は? サッシャ:没後20年、そして今回の40年の舞台も、寺山さんは常に三上さんのそばにいるような感じというか、師匠思いというか……。育ててくれたというところへの思いが、今日のお話にも出ておりました。きっと(寺山が)求めるものも高かったと思うんですけど、それが自分を成長させてくれたってことですよね。 ノイハウス:導いてくれる方が1人でもいると、キャリアに違いが出てきますよね。 サッシャ:ね。若い頃に5年間お世話になったということですが、40年経ってもある意味寺山さんと共に演技をされているという素敵なお話でした。ちなみに、三上さんは2008年から現在まで毎年、寺山さんの命日である5月4日には、寺山さんのふるさと青森県三沢市の「寺山修司記念館」で、追悼ライブを行っているそうです。すごいですね。「言うは易し」ですが、毎年やるのは大変ですよ。 ノイハウス:本当ですね。