「ミウラ」が「P400S」でも2億7300万円の驚き! SV並みの価格はランボルギーニ伝説のテストドライバー「ボブ・ウォレス」が関係している!?
ミウラ P400Sになってどこが変わった?
1968年、ミウラ P400は「ミウラ P400S」へとアップデート。ガンディーニのスタイリングはそのままに、クロームメッキのエクステリアトリムとリアに「S」のバッジが追加されることになる。 このモデルではインテリアの質感が向上し、計器類のレイアウトも変更されたほか、パワーウインドウが装備され、後期モデルにはオプションとしてエアコンも設定された。 4LのV型12気筒エンジンの出力は、バルブタイミングを見直したハイリフトのカムシャフトと4基のウェーバー40IDL-3Lキャブレターの採用により、スタンダードのミウラから20psアップに相当する370psをマークした。 さらに、ミウラのスプライン式ドライブシャフトシステムは等速ジョイントに変更され、アームストロング社製のショックアブソーバーはコニ社製に変更された。 近年の国際クラシックカー・マーケットにおいては、同じミウラでも最終進化形の「P400SV」が突出して高い評価を受け、3億円オーバーが当たり前の相場感となっているいっぽう、ミウラ/ミウラSは比較的安価に推移してきているのはご存知のとおり。 でもこのオークション出品車両は、ここ数年のミウラ P400Sのマーケット市況を塗り替えるような、驚くべきハンマープライスで迎えられることになったのだ。
一部にSVスペックを盛り込んだレストアとは
このほどRMサザビーズ「Monterey 2024」オークションに出品されたランボルギーニ「ミウラ P400S」は、1969年1月22日にサンタアガタ・ボロネーゼから出荷され、同じボローニャの「オート・エリート」社に納車されたもので、当初はシルバー・メタリックのボディにマスタード・レザーの内装の組み合わせだった。 アメリカにおけるヒストリーは、1970年代半ばにカリフォルニア州ロングビーチのジョージ・コカラスが入手したものまでさかのぼると考えられている。その後、1978年に同じくロングビーチに住むジョセフ・ケーニッヒの手に渡り、翌年にはエキゾチックカー愛好家として知られるオリバー・カットナーに譲渡。1988年にはランディ・サイモンによって購入され、1991年のニューヨーク・オートショーに出展された。 さらに1995年には、このミウラSはカリフォルニア州ウィッティアの著名エンスージアスト、スティーブ・コレッティに譲渡され、すぐに4年にわたるレストアを開始した。 車両に添付されているヒストリーファイルに含まれた作業概要によると、ボディワークとシャシーを剥き出しの金属に戻し、適切かつ慎重に修復。フロントのシャシー補強材、フロント側のショックタワー・ブレースの強化、ラジエーターとフロント・ブレーキローターにより多くの空気を送るためのフレームレールの変更など、後期型P400SVを模した望ましいエンジニアリング的特徴を取り入れたことも記録されている。 すべてのサスペンションコンポーネントは、安全のためにクラックチェックが行われ、カドミウムメッキないしはパウダーコーティングが施された。また、ブレーキもSV仕様にアップグレードされ、改良型のクロスドリルドローター、カーボン/ケブラー製のブレーキパッド、フレキシブル編組のステンレススチール製ブレーキラインが装着された。
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