「スケボーのビデオに入っているヒップホップを聴いた時、なんだこれは!と」アーティストKREVAとの出会い MPCプレイヤー・熊井吾郎のターニングポイント
県外で活躍する青森県民を紹介するターニングポイント。人生の転機となったそのとき、どのような思いや決意があったのか。第100回のストーリーは青森市出身でMPCプレイヤーの熊井吾郎。 【写真を見る】「スケボーのビデオに入っているヒップホップを聴いた時、なんだこれは!と」アーティストKREVAとの出会い MPCプレイヤー・熊井吾郎のターニングポイント MPCとは、AKAI Professional社が製造する音楽制作用の機材のことで、熊井は、MPCを使い楽曲制作を行うほか、有名アーティストたちのライブDJとして活躍している。 ■きっかけはスケートボードへの興味 熊井は小学生から野球に打ち込みながらも、一方でスケートボードにも興味を持つ少年だった。 熊井吾郎さん 「スケートボードが当時流行っていて、野球をやっていたんですけどスケボーもやってみたいということで始めました。スケボーのビデオに入っているヒップホップを聴いた時に“なんだこれは”と思って、そこからヒップホップにのめり込んでいった感じですかね」 バンドブームの中、ヒップホップを好きになり先輩の影響でDJという職業を知ることになる。 熊井吾郎さん 「スケボーをやっている先輩たちが音楽イベントをやってたり、レコード店で働いてたりしたんですよね当時。そこに行った時に、初めてDJをやっているの見て“かっこいいな”と思って、そこからDJイベントなどに足を運ぶようになりました」 DJをやるようになっていた頃、イベントで知り合った先輩のミュージシャンが開催していたクラブイベントに、ラッパーでシンガーソングライター兼音楽プロデューサーのKREVA(クレバ)が出演。その姿を見て、将来は音楽の仕事をしようと考え、活動拠点を東京へ移す。 ■アーティストKREVAとの出会い 熊井吾郎さん 「音楽系の専門学校だったんですけど、自分が音楽に対してどれだけ本気になれるかも考えつつ、東京で頑張ってみようかなという感じでしたね」 上京すると熊井は、青森の先輩ミュージシャンでシンガー兼作詞家のSONOMI(ソノミ)のバックDJを担当するようになる。 熊井吾郎さん 「SONOMIさんが『ひとりじゃないのよ』という曲で、KREVAさんと一緒にフューチャリングで曲を出したくらいから、僕とKREVAさんの距離が近くなっていったという感じですかね」 その頃から、KREVAのもとでDJやMPCプレイヤーとしての活動が始まった。
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