乾シイタケ産地守るレジェンドたち 豊後大野市「なば山師の会」、後進育成などに力
全国に名前をとどろかせる乾シイタケ生産のレジェンドたちでつくるグループが、大分県豊後大野市三重町にある。その名も「なば山師の会」。猛暑などで年々栽培条件が厳しくなる中、全国有数の産地を守り発展させるため、良品作りや後継者育成に精を出している。 品評会シーズンが始まる直前の4月中旬。同会は行政の担当者や若手生産者らとともに、上位入賞を狙える良品を選別し、出品する40袋を作り上げた。いいものを見抜く目を育て、地域の産業振興につなげようと毎年招待している。 麻生光生副会長(70)=三重町鷲谷=は「2月に暖かい日や雨が多いという厳しい条件だったが、会員の努力で良品がそろった。近年は気象が変化するので毎年が勉強です」。 「なば」とはシイタケを表す方言で、なば山師とはシイタケ農家を指す。会員は栽培歴50年以上で、全国乾椎茸(しいたけ)品評会で最高賞の農林水産大臣賞や次点の林野庁長官賞の獲得歴がある輝かしい功績の持ち主ばかりだ。 同会によると、前身は1998年に町内の生産者夫婦8組でつくった「日本一のなば山師になろう会」。先進地の視察や品評会へ積極的に参加。ビニールハウスや散水施設などの導入も進め、技術や品質を高めていった。 その結果、目標だった日本一を次々と獲得し、全国をけん引する存在に成長。生産をやめた仲間もいたため、2021年に夫婦6組で現在の会に変更した。現在は選別会のほか、県内外での技術指導や視察研修の受け入れなど後進の育成にも力を注ぐ。 今年5月には会長だった三浦千秋さん=享年(72)=が急逝した。三浦さんは生前、「やる気のある人にはいくらでも技術指導をする」と話していた。麻生副会長は「三浦会長の遺志を継ぎ、基幹産業を絶やさないように活動を続ける」と誓った。