<吹け赤い旋風・聖カタリナの軌跡>/中 創部、共学化の目玉に 全学が支え、5年目で甲子園切符 /愛媛
「果たして男子が入ってくれるのか。不安は大きかった」。相原聡教頭(57)は当時の様子を思い返した。2016年4月、男子生徒1期生107人が入学。1925年以降一貫して女子教育に力を注いできた聖カタリナ学園にとって大きな転機となった。 共学化が正式に決まったのは14年9月。少子化などの影響で、済美や松山聖陵(いずれも松山市)といった県内の私立校が続々と共学化した流れを受けた。「創立90周年を機に新たな発展を」と当時の校長・芳野敬三氏が主導した。 女子校として90年以上の歴史がある聖カタリナ。周囲からは「カタリナは絶対に共学化しないだろう」とささやかれた。そのため「聖カタリナ女子」からの校名変更や新校舎「聖カタリナ館」の建築、校訓の変更など確立された女子校イメージの払拭(ふっしょく)を狙い、具体的な策を次々打ち出した。その目玉が硬式野球部の創設だった。 「愛媛といえばやっぱり『野球』。創部は共学化の大きな柱となった」(相原教頭)。運動部全般に力を入れる校風で、野球部も当初から目標は甲子園に狙いを定めていた。学校近くに十分な練習スペースを確保できなかったため、学校から車で約40分、課外学習の拠点として使用しているセミナーハウス(松山市河野町別府)のグラウンド(縦60メートル、横80メートル)を活用。当初は現在の3分の2ほどの広さで砂利が入り交じる更地だったが、黒土の搬入やナイター照明の設置など環境を整え、学校全体で部を支えた。 創部5年目で、春夏通じて初の甲子園出場の切符をつかんだ。グラウンドには選手たちの明るい声が響き渡る。女子校時代にはなかった光景だ。1月29日、校長に代わって選手たちに出場決定を伝えた相原教頭は野球部長を4年間務めたこともあって「本当にうれしい。選手や監督、部長がよく頑張ってくれた」と感無量。「初出場で緊張もあると思うが、思い切り楽しんでもらったら」とナインを鼓舞した。