2700曲を世に送り出した作詞家・森雪之丞氏が「僕にとっての誇りであり幸せ」だったお仕事
アイドルがヒットチャートでしのぎを削っていた当時、森さんは年間200曲も書く忙しさ。制作チームとの話し合いで曲作りを進め、アイドル本人とはレコーディング以外会わなかったそう。時には行き違いも発生した。 「ディレクターと僕とで曲の方向性が決まっていたのに、歌入れに立ち会ったらアイドル本人から“私、こんな歌嫌い”と言われて。ディレクターとアイドルとの間で、方向性の確認が取れてなかったんです。歌う本人の気持ちを酌み取れない作り方は違うんじゃないかと思いましたね」
布袋寅泰とロンドンで1か月間寝食を共にし曲作り
そうした経験からアイドルの作詞から離れ、アーティストが主導権を持つロックの世界へ。布袋寅泰からソロアルバム『GUITARHYTHM II』('91年)の作詞を任され、ロンドンで1か月間寝食を共にし曲作りを行った。 「お互いリスペクトしながら、相手のいいところを引き出して自分とまぜていく。理想的な相棒として仕事ができて幸せでした」 布袋とのコンビで『POISON』『スリル』(共に'95年)など大ヒット作が生まれ、布袋とタッグを組んだ曲は34年間で100曲に上る。 一方で'83年に『キン肉マンGo Fight!』を作詞し、アニソンも手がけはじめる。 「当時のアニソンってヒットチャートを意識しなくていいし、自由だったんです。楽しいものを作るためにいろんなアイデアを注ぎ込めました」 そして'89年に日本のアニメ文化を代表するアニソンとも名高い『ドラゴンボールZ』の『CHA-LA HEAD-CHA-LA』が誕生。原作の鳥山明さんと会ったのは一度きりだったが、「最高でした」と称賛の言葉をもらったそう。先日の鳥山さんの訃報を受け、森さんの思いは─。 「『ドラゴンボール』の新作も今秋から決まっていて、ご本人としては道半ばで悔しかったでしょうが、成し遂げられたことは本当に素晴らしいと思います。ご一緒できたことが僕にとって誇りですし、幸せでした」