映画『ヒットマン』実在した“ニセモノの殺し屋”が見せる七変化!?
──映画づくり自体には飽きなくても、ちょっと面倒だなというパートが出てきたりはしないものですか? 歳をとったせいか、些細なことに対する忍耐力はなくなってきたかも(笑)。でも映画づくりに飽きたことは一度もないし、好きだと思えない作品を撮ったこともありません。あれはうまくいかなかったとか、映画監督に向いていないとかも思わないです。どの監督も同じように言うだろうけれど、時間と労力を費やすだけの深みがあると感じるには、登場人物に心から惚れ込み、興味をそそられなければならない。だから、あるレベルで自分に語りかけてくるものでなくてはいけない。それが映画をつくる、あるいはつくらない動機になっています。 ──確かに、あなたの映画は、映画自体はもちろん、出てくるキャラクター一人ひとりに対する愛情を感じさせますね。 自分の映画の登場人物が嫌いな監督もいるのかもしれませんが、自分はキャラクター全員に愛情を抱く傾向が強いです。たとえ悪人であっても。今回の場合、オースティン・アメリオが演じたジャスパーがそうですが、彼はウィットに富んでいて面白い。知的な悪役は好きですね。映画は大勢の役者がアンサンブルを組んでいるわけですが、その一人ひとりを実在の人物のように感じてほしいので、そのために時間をかけなければならないと思っています。だって、脇役が目立たず、スターを売り出すためみたいな映画は、現実味がないじゃないですか。
──その通りだと思います。35年以上も映画をつくり続けていると、俳優たちのデビュー、ブレイクなどの変化も目の当たりにされてきたとも思います。卒業した生徒を見る先生みたいな感覚もあったりするのでしょうか? どうでしょう。私は自然と年老いた賢者にはなれないタイプだと思います(笑)。年上で経験があっても、どちらかというと、もっと地べたで汚れながら発見しようとする人間なので。もちろん、質問をされれば答えますが、自分も探求の途上にいますし、そこに加わってもらうようお願いしているというスタンスです。だから、自分自身に、すべての最終的な答えになるような権限はあまり与えていないですね。 ──対等な関係なんですね。そうであっても、一緒に仕事をした俳優たちが才能を認められ、さらに活躍していくのは嬉しいことですよね。 長い間映画をつくり続ける中で、最もやりがいを感じるのは、一緒に仕事をする俳優たちと長期的な関係を築けることや、彼らのキャリアがどうなっていくかを見守れるということです。俳優だけでなく、映画で出会った友人たちがより自分らしくいられていると感じるとき、もしくは自分のために努力してきたことがかたちになったと思えると、とてもいい気分になります。 ──あなたの次のプロジェクトであるミュージカル「メリリー・ウィー・ロール・アロング」の映画化は、約20年にわたって撮影する予定だとか。長期的な映画をつくる楽しみのひとつとして、自分でも想像できないような何かが待っているかもしれないというスリルもあるのでしょうか? 厳密に言うと、完成が2040年予定なので、次のプロジェクトではなくて、それまでにほかにもたくさん映画を撮れたらいいなとは思っているけれど、定期的に取り組んではいます。長期的な制作は、積み重ねた時間や未知なるものが、ある程度は協力者になりますよね。それを理解した上で、それが何らかのかたちで自分のために機能してくれることを願うのみです。