魂宿る日章旗、戦後79年経て娘の元へ 英国・米国からの思い受けて本籍地集落の住民が探し当てる
ビルマで戦死の旧日本陸軍兵
1945年にビルマ(現ミャンマー)で戦死した旧日本陸軍兵、岡部辰美さん(享年30)の寄せ書き入りの日章旗が、7月に大阪市内の遺族に返還された。辰美さんの本籍地が京都府福知山市三和町芦渕だったことから、遺族探しに地元の岡部一稔さん(88)が全面協力。居場所の特定に結びついた。大阪での返還式に招かれ、遺族らと喜びを分かち合った。 日章旗は縦73センチ、幅90センチで、「祈武運長久」の文字とともに、167人の名前が寄せ書きされていた。出征前に辰美さんが勤めていた京都市の洋服店、取引先の関係者によって書かれたとみられる。 これを戦地から持ち帰ったのは元英国兵で、その孫のルーイズ・フェンさん(50)が長年保管していたといい、日章旗を返還することが、戦没者の魂が家族の元へ帰ることを意味すると知り、2020年に返還することを決意した。 それから戦没者の遺品返還に取り組む米国オレゴン州のNPO「OBONソサエティ」に依頼。捜索から3年以上の歳月を経て、終戦から79年の今年、大阪市内に住む長女の岡部芙佐子さん(86)ら遺族の元に届けられた。 無事に返還がかなったのは、一稔さんの存在が大きい。辰美さんの本籍地の芦渕周辺で同じ岡部姓宅に、ローラー作戦で電話をしていた同NPOの遺族捜索担当者から今年2月に話を聞き、「力になれるのなら」と協力を申し出た。 担当者から伝えられた本籍地の住所を調べたところ、一稔さんと同じ岡部株の憲次さんが、明治から大正にかけて、住んでいた場所だった。 憲次さん一家は大阪に移住し、製菓店を営んでいたことも知っていて、跡を継いでいた孫の友彦さんとも親交があったことから、「何か分かるかも」とすぐに電話をかけた。 辰美さんは憲次さんのおいで、娘の芙佐子さんが健在であることも判明。3年以上遺族が見つからず、止まっていた時計の針が、一稔さんの手によって動き出した。 そして7月14日、大阪護国神社(大阪市)で返還式が行われた。日章旗を受け取った芙佐子さんは「帰ったら仏壇に供えたい。母も喜ぶと思います」と目を細め、「心に区切りをつけられ、安らぎがもたらされるよう願っています」とのフェンさんのメッセージも読み上げられた。 式に出席した一稔さんは「祖国や家族のことを思いながら、辰美さんは戦地で悲運な最期を遂げられました。魂が宿った日章旗が祖国へ戻り、愛しい娘さんに会えて本当に良かった。その返還のお手伝いができてうれしい」と笑顔を見せた。