リオ銀メダリストが抗議 エチオピアの圧政はなぜ見過ごされてきたのか?
オロモ人ら「多数派」による抗議
そのエチオピアでは、昨年11月頃から政府に対する抗議デモが相次いで発生。これらのうち、例えば同国中南部のオロミア州では、隣接する首都特別区アディスアベバとの境界線が変更され、同時に政府によって示された首都再開発計画により定住地を追われる可能性のある人々が抗議の声をあげたことが発端でした。また、同国北西部のアムハラ州では、州政府にアムハラ人の代表が入ることを求める抗議運動が原因でした。 このようにそれぞれで直接的な原因は異なるものの、これらの抗議デモは「多数派の抗議」という点で共通します。与党EPRDFの中心は、人口で約6.1パーセントに過ぎない少数派のティグライ人によってほぼ握られています。これに対して、最も人口が多く約34パーセントのオロモ人や約27パーセントのアムハラ人の間に、政府への抗議活動が目立つのです。 この背景には、与党EPRDFの構図があります。もともとEPRDFは、それぞれ民族を単位とする4つのゲリラ組織が、いわば対等な形で集まった連合体でした。しかし、その創設を主導し、内戦勝利に導いたメレス元首相がティグライ出身だったことから、EPRDF内部ではTPLF(ティグライ人民解放戦線)の影響力が大きくなりがちでした。
これに対して、特にオロモ人は人口が多いこともあり、EPRDFとの対立が顕著です。社会主義政権との内戦時代にEPRDFの一角であったOLF(オロモ解放戦線)は、内戦終結の翌1992年にEPRDFから離脱。これは「オロモとしての独立」を求めてのものでした。オロモ人の全てがこれに同調しているわけでなく、EPRDF支持のオロモ人もいますが、OLFが非合法化され、抑圧されるなか、ティグライによる支配は徐々に強まりました。2012年にメレス首相が病没した後、TPLFがEPRDFの要職の独占を進めると、実質的な一党制は確立されていったのです。 この背景のもと、先述の抗議デモが各地で発生しました。しかし、抗議デモはいずれも治安部隊に弾圧され、多くの死傷者を出す事態に発展。国際人権団体ヒューマン・ライツ・ウォッチによると、昨年11月から今年6月までにオロモ州だけで、少なくとも400人が治安部隊によって殺害されています。リオ五輪男子マラソン銀メダリストのリレサ選手も、オロモ人です。