81歳の現役内科医・天野惠子さんが3人の娘に見せた母の背中「日本一の医師」への夢に向け仕事に専念した子育て時代
現在、81歳で現役内科医の天野惠子さん。 今から20年以上前に、日本ではじめての女性外来設立に貢献したパイオニア的存在だ。 【画像】初診はじっくりと話を聞くことが天野惠子さんのスタイル 著書『81歳、現役女医の転ばぬ先の知恵』(世界文化社)では、自身も悩んだ更年期障害や、日本での性差医療の遅れなど、女性外来設立に至るまでの道のりや究極の男性社会である医学界を生き抜いてきた、その生き方を記している。 今回は、家事や育児は母親が行うことが美徳とされていた時代に、自身の夢を追いかけながら3人の娘を育て上げてきた天野さんのゴーイングマイウェイな生き方を一部抜粋・再編集して紹介する。
「日本一の医師」夢のため仕事に専念
今でこそ、家事や育児サポートを外注することは当たり前になりましたが、私たちのころはすべて母親自身が行うのが美徳とされてきました。 何事にも全力で立ち向かうといえば、聞こえがいいのですが、人間には限界があります。家事も育児も仕事も同時に完璧にこなすことは、肉体的にも精神的にも物質的(時間的)にも、無理があります。 私は、すべてに全力投球しようとしたら、必ずどれかが破綻してしまうと思いました。 私には「日本一の医師になる」という志がありましたから、家事と育児は家政婦さんにお願いし、医師の仕事に専念することにしました。 家政婦協会を通じて50代のTさんというすばらしい家政婦さんにめぐりあうことができたことは、私たち家族にとって幸運でした。 毎日朝8時から夜9時まで、掃除や洗濯、食事作りはもちろん、保育園や習い事の送り迎え、参観日や保護者会、運動会などの学校行事にも私の代理として動いていただきました。 3人の娘たちも「おばちゃん」と呼んでよく懐き、難しい思春期もとくにトラブルもなくすくすくと健やかに育ちました。 私は41歳まで無給の医局員でしたから、週に1日半のアルバイトで家政婦さんの費用を稼いでいました。 「そんなことをしている時間があるなら、子どもたちと遊んでやればいいのに」と母から苦言を呈されたこともあります。 しかし、今考えても、私の選択は正しかったと思っています。 家政婦さんの費用だけは自分で出す、が私の考え。 医師という仕事に誇りを持ち、仕事の部分では120%の努力を続ける覚悟でいましたから、家のことをだれかにまかせる、その費用は自分で工面するのは当たり前だと思っていました。