ハン・ガンの小説の根底にある苦しみ【コラム】
パク・ヒョンジョン|ジェンダーチーム長
読み進めては止めるのを繰り返し、最後までたどり着けない本がある。今年のノーベル文学賞受賞作家、ハン・ガン氏の『少年が来る』がそうだった。広く知られているように、小説の背景は5・18光州(クァンジュ)民主化運動だ。すでに10年前に出版された小説であるにもかかわらず、幼い亡者と生ける者の残酷な証言を目で追っていくのは、たやすいことではなかった。 忘れていたこの本を思い出したのは、9月30日にソウル国会図書館講堂で開かれた「5・18性暴力被害者の証言大会ー勇気と応答」の映像と取材メモを見てからだった。もう60歳を超えた女性4人が、涙と恐怖をあらわにし、300人余りの前で5・18を証言した。限られた時間と縮約された言葉の間に、あまりにも生々しくて、目をそらしたかった小説の中の場面が重なった。 2018年、「このまま永遠に埋もれてしまうのではないか」という思いから、勇気を出して性暴力被害を証言したキム・ソノクさん(66)は、1980年5月22日、全南道庁に入った日を忘れることができない。「セメントの床に死体がありました。片方の顔に銃傷を負って死んだ人、干からびてしまった遺体(…)衝撃を受けました」。遺体を見て気絶する家族を病院に案内し、夜間通行証や海外メディア記者用の取材許可証を作った。その年の7月、教育実習を行っていた学校から尚武台(戒厳軍の分署)に連行された。「寝かせてくれませんでした。トイレのドアを開けて銃を構えた軍人の前で用を足さなければなりませんでした」。釈放直前、担当捜査官から性的暴行を受けた。 19歳だったキム・ボクヒさん(63)は5月26日、道庁に向かった。4日前、戒厳軍が撃った銃で恋人を失った。「魂が抜けた状態で(家に)メモを書いて道庁に向かいました」。無残な鎮圧で高校1年生の生徒まで命を失った27日未明、キムさんも道庁にいた。「戒厳軍に頭を殴られて引きずり出される途中、倒れている人をたくさん見て…アカと言われたこともありました」。国家は彼らを人間として扱わなかった。「取り調べを受けていた時、上着を上げられたりズボンを下ろされたりして、羞恥心に苛まれましたが、泣きながらトイレに行かせてと頼んだところ…そこで性的暴行を受けました」 生きて帰ってきたが、生きる意志を奪われたまま、苦痛のトンネルを通らなければならなかった。性暴力の被害は彼女らの人生全般に影を落としたが、その記憶を暗闇にしまい込んでおきたかった。「明るみに出すのがとても怖かったが」、自分のような被害者の存在を認めてもらいたいという思いから、勇気を出して白日のもとに晒した真実だ。 5・18民主化運動真相究明調査委員会の報告書によると、戒厳軍などの作戦状況や連行・拘禁・調査過程で性的侮辱と拷問、強制わいせつ行為、性的暴行があった。銃と大剣を使った脅しと拉致、殴打とそれによる流産と下血、子宮摘出のような暴力被害もあった。「真相究明決定」(16件)で被害事実を認められた被害者の多くは事件後、自殺を一度以上試みたという。 これまで一人で戦ってきた被害生存者であり証言者たちは最近、自助会「実り」を立ち上げ、手を取り合っている。実りの代表を務めるキム・ボクヒさんは証言大会に出席した聴衆にこう呼びかけた。「残り少ない人生でも、私たちが堂々と生きていけるように、最後まで関心を持ってください」 国家はまだ性暴力被害の特殊性を反映した賠償・補償や名誉回復対策を打ち出していない。性暴力の疑いのある事件の調査は一部にとどまっており、すべての被害が明らかになったわけではない。証言の信ぴょう性を問題視し、5・18を歪曲して蔑む発言も後を絶たない。すべての悲劇の始まりである発砲の最終責任者はいまだに特定されていない。 ハン・ガン氏は「この小説を書きながらほとんど毎日泣いていた」、「圧倒的な苦しみをもとに書いた作品」だと、あるインタビューで語った。そうやって書かれた文章が簡単に読めるはずがない。「私たちは皆、苦しみを感じる人間だから、つながっていると思います。言語という不完全な道具を使って、深く掘り下げていって何かを語れば、読む人も深いところへ下りてきて読んでくれると信じています」(2022年、ソウル国際図書展で講演中) とうてい計り知れない苦しみに少しでも触れることを願い、再び本を開いた。 パク・ヒョンジョン|ジェンダーチーム長 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )