「何を見てもあなたを思い出す」――残された妻が、深い悲しみの果てに見いだした“希望”とは
長くつきあうには「悪い奴のほうがいい」
2006年、実父の葬式を終えて東京から帰ったわたしは、ピートにその模様を報告した。すると「ぼくはグリーンウッド墓地に入る」といい出した。 1838年に創設されたグリーンウッド墓地は190ヘクタールの広大な敷地に湖や丘や庭園をもち、樹木の数だけで7000本を数える豊かな自然環境で知られる。歴史上の人物が多く眠っているほか、指揮者のレナード・バーンスタインや画家のジャン=ミシェル・バスキアなども埋葬されている。それだけに区画(プロット)を買うのは難しいだろう、もう売っていないかもしれないと思っていたのだが、墓地を訪れるアポがすぐ決まり、事務所で会った理事長(プレジデント)はピートの弟で五男デニスの同級生だった。 どこの区画が良いか訊かれると、迷うことなく「ボス・ツイードの近くが良いね」と答えた。 ボス・ツイードことウイリアム・M・ツイードは19世紀のニューヨーク市政を牛耳った親分。実業家で上院議員だったが、巨額の汚職と収賄など金に貪欲なことで知られ、ついには収監先の牢の中で最期を迎えた人物だった。 デニスの同級生はすぐに3箇所の候補地に案内してくれた。ピートはそのなかから、ツイードの墓にいちばん近い区画を選んだ。なぜ、ボス・ツイードの近くが良いのかと訊かれると、「長くつきあうには悪い奴のほうが話題に尽きないよ」とアイリッシュ特有の冗談を口にしてまわりを笑わせた。
広大な墓地でパトロール・カーに救出され…
彼が育ったのはこの近所、墓地は遊び場の一つだったという。夜になって閉鎖された墓地に忍び込み、友達と一緒に肝試ししたりしていた。広大な敷地だから、迷うこともあるし、夜になると何が出てくるかわからない。 初めてひとりでピートの墓参りに出かけたとき、わたしは道に迷ってしまった。くねくね曲がる道には標識があることはあるが、同じような樹木が茂り、同じような墓石が並ぶ。すっかり方向を見失った頃には、ゲートは閉まり夕闇が垂れ込めてきた。誰もいない墓地はさすがに気味が悪い。20分も経った頃、パトロール・カーが来て、救出された。 「今度は正面入口でツイード墓地へ連れていって欲しいとスタッフに頼めば良いのです」 パトロールの警備員はこう教えてくれた。 翌朝早く、わたしは同じ花束をもって出かけた。正面入口で頼むと、快く引き受けてくれた警備員が、「あそこならぼくの友達がいるところだ」といってハンドルを握った。車のなかで話してみると、彼は墓地の警備責任者(セキュリティー・チーフ)で、ピートのこともよく知っていたし、ピートの墓のすぐ近くに眠る友達のことも話してくれた。