応募者1万2,000人以上の『レ・ミゼラブル』日本初演に大抜擢! 島田歌穂「受かるなんて有り得ないと思っていたのですが…」当時を振り返る
◆印象的だったジョン・ケアードからの言葉
唐橋:オーディションに受かっても、稽古が続くわけですよね。 島田:長いお稽古がありましたね。でも、ジョンの稽古はすごく演劇的で、1シーンごとに本当に丁寧に作品を作っていく過程に毎日感動していましたね。夢のような、楽しくて幸せな時間だったなと思います。 唐橋:舞台をされる方は、海外の演出家からもらった言葉ですとか影響を受けたことが大きいそうですね。 島田:やはり、時間をかけてじっくりと稽古できる期間が多いので、そのぶん演出家は一人ひとりと向き合いながら丁寧に作ってもらえる現場が多いんですよね。なので、それだけ思い出が大きくなっていくのかなと思います。 唐橋:ジョン・ケアードさんに言われて心に残っている言葉はありますか? 島田:いっぱいあるんですけど、忘れられないのが初演の稽古の大詰めの頃ですね。海外の演出家はわりと褒めて育ててくださる方が多くて、ジョンも「歌穂、よかったよ!」と言ってくれたんですけど、私は自分で納得がいかなくて、いつも「ダメです」って言ってしまっていたんです。そうしたら、あるときジョンが「いい加減にしなさい。演出家の僕がよかったと言っているんだから、それを信じなさい」と笑いながら怒ったんですね(笑)。「よかったと言われたら、『ありがとう』と言うことを覚えなさい」と言われました(笑)。 唐橋:そうですか。 島田:褒められたら、素直に「ありがとう」と受け止めることも大事なんだって思ったのはすごく覚えていますね。
◆「レ・ミゼラブル」が“初心”をいつも教えてくれた
唐橋:島田歌穂さんは「レ・ミゼラブル」のエポニーヌ役での出演回数が1,000回を超えまして、この作品の世界ベストキャストに選ばれています。すごいですね! 島田:自分でもそんなに長い間続けさせていただけるなんて思ってもみませんでした。無我夢中で1回1回を重ねていき、気が付いたら1,000回を超えていました。 唐橋:同じ役をこれだけ続ける難しさはありますか? 島田:私は1987年から2001年まで14年間ロングランに参加させていただいて、そのあとも特別公演があったので、最終的に2011年に卒業したんですね。四半世紀近く同じ役をやらせていただいて、年齢も20代から40代まで、ずっと16歳の役をやらせていただきました(笑)。その間、人生のなかでいろんな経験がありましたし、結婚や両親との別れもありました。でも、どんな時も「レ・ミゼラブル」という舞台に帰ると、初演の初日、初めて帝国劇場の舞台の上でお客様から熱い拍手をいただいた、あのときの何とも言えない感動の瞬間に立ち帰らせていただいたんですね。「レ・ミゼラブル」は、常に初心を思い起こしながら、多くを学び、与えてもらった、生涯感謝し続ける作品です。 唐橋:人生とともに「レ・ミゼラブル」があったんですね。 そんな島田さんは11月からは舞台「プロデューサーズ」が始まり、11月20日にはアルバム「島田歌穂・シングス・ディズニー」のリリース、そして12月にはクリスマスコンサート「島田歌穂&島健Duo Xmas Special vol.14」も予定しています。50周年の節目に、島田さんのさらなる活躍が期待されます。 (TOKYO FM「NOEVIR Color of Life」放送より)