1年半で150万円を5000万円に!凄腕株式評論家「決算前にあなたの買うべき銘柄が分かるようになる」どうやって?
株のディーラーや、株・債券のファンドマネージャーなどを経て、現在は株式評論家としてメディアに引っ張りだこなBコミ(坂本 慎太郎)さん。 【動画】9年で2.5億円稼いだ「他人を真似するだけ」考えるイナゴ投資家の投資哲学…元ブラック風俗店員はいかにして成りあがったのか そんなプロ中のプロに。銘柄選びのコツや出口戦略などについて伺った。3回にわたっておくるインタビューの第2回。
ディーラーになるのが夢だった
ーー坂本さんはディーラーをされていたご経験がありますが、就活で金融を選ばれたのは自然の流れだったのですか? そうですね。しかし、最初に就職したところは地元の会社でした。就活中、株を運用やファンドマネーシャーの仕事をしたいと思っていましたが、証券会社に入社出来てもディーラーになれる可能性が低いことを知ります。大手の場合は1000人に一人だと聞きました。営業を任される可能性のほうが高いのです。証券会社に入った時点で、インサイダー取引防止などのためトレードに規制がかかりますし、それだったら自分で投資ができる環境は手放さないほうが良いのではないかと考えました。 そこで一旦田舎へ帰省し、株式投資とは全く違う仕事をすることにしたのです。 ところが、新卒で入った会社では配属が大阪に。地元とは全く違うところです。内心は「配属が地元ではなかったら田舎に帰った意味も、証券会社に就職しなかった理由にもならない」と思っていたところふと見た掲示板にディーラーを募集している求人を発見しました。投資の実績などをアピールし、無事に内定をもらうことができて、晴れて憧れの職を手に入れました。 ディーラー生活は5年程。最初は契約社員で、使えないと思われたらクビになる厳しい状況に置かれました。とはいえ、私のようなディーラー初心者を採用してくれる会社なので結果が出るまでを長い目で見てくれる雰囲気があったのは良かったと思います。 そして、なんとか稼げるディーラーへ。1年半の間トップの成績で走り続けました。出来るようになると欲が沸いてくるもので、もう少し多くの株を売買したいと考えるようになり、先輩がいる会社へ転職。 次は売上の約半分が歩合給として還元される会社でディーラーの仕事をすることに。還元率が高いため、26~27歳のときの年収は1億円を超えていました。当時、うまく行く人が一番稼げる仕事であったと思います。