古代朝鮮と多元的外交展開か「渡来人いずこより」展
大阪市天王寺区に百済亡命王族の拠点
百済との交流が盛んだった近畿地方でも、とくに大阪は百済と濃密なかかわりを持っていた。「難波と朝鮮半島」と題したコーナーで、大阪市天王寺区の細工谷遺跡から出土した資料をまとめて展示している。 660年の百済滅亡後、多くの百済人が日本列島各地に亡命。664年には百済王族の善光が同遺跡付近に土地を与えられ、亡命王族の拠点になった。遺跡からはもっと古い時代の百済系土器が出土しており、百済滅亡前から渡来していた人たちが居住していたため、亡命百済人の受け皿になったと推定されている。
その他、興味深い展示品が目白押し。大阪府柏原市の高井田山古墳から出土した「熨斗」(のし)は、フライパンのような形状ながら、古代のアイロンだ。皿状の部分で火を焚き、熱くなった裏面を布に当てて、しわを伸ばす。支配階級限定の高級品だった。同じタイプの熨斗が韓国の百済・武寧王陵でも発見されている。 大阪府四条畷市では古代、生駒山地の山すそで馬の飼育がされていたという。同市内の遺跡で見つかった大小の「馬形埴輪」が仲良く並んで展示されている。ふるさとを離れて異郷で暮らす人たちの暮らしぶりをうかがわせる企画展だ。会期は6月12日まで。有料。詳しくは大阪歴史博物館の公式サイトで。 (文責・岡村雅之/関西ライター名鑑)