石原さとみ熱演の映画『ミッシング』、吉田恵輔監督「野獣のような石原さとみを野に放ったのはオレ」
◆「テレビ局をもっと掘り下げてみたい」
石原さとみが、ある日突然失踪した幼い娘の母親を演じる。手がけたのは、『空白』(2021年)や『神は見返りを求める』(2022年)など、SNS社会を背景にした現代の悪意を鋭く描き続ける、いま最注目の映画監督・吉田恵輔。石原の熱演がすでに話題となっていて、本年屈指の秀作との呼び声も高い映画『ミッシング』について、来阪した吉田監督に話を訊いた(取材・文/春岡勇二)。 【写真】観客に丸を作って笑顔で応える石原さとみ ──今回の物語の発想の発端は、2021年に公開されて高い評価を受けた『空白』の撮影現場だったとか。 『空白』の撮影終盤のある日、僕らが乗った車の前をコンクリート・ミキサー車が走ってたんです。ちょうど今回の映画にも出てくるような海岸通りで。そこを走るミキサー車を見ながら、その運転手を主人公にした物語ができないかなって思ったんです。まだ青年で、なにか強い鬱屈を抱えて、普段は引き籠もっているとか。 ──劇中で、石原さとみさん演じる主人公・沙織里の弟、森優作さんが演じている役ですね。 以前から、家族や知人の誰かが失踪してしまう、いわゆるミッシングものを構想していたことはあったので、それとミキサー車のドライバーというのがくっついて。引き籠もりの原因は、姉の娘を預かっているときにいいかげんなことをして娘がいなくなってしまう。しかも本人がコンクリート・ミキサー車のドライバーだったことから、「お前がなにかやったんだろう。コンクリートで固めてどこかに埋めたんだろう」などと言われてしまう人物を考えたんです。 ──コンクリート・ミキサー車が疑惑や誹謗中傷を呼ぶ要因になっているわけですね。 でも、その先で構想は行き詰まってしまって。考えたら、この状況で一番キツイのは娘がいなくなったお姉さんだよなと。お姉さんには旦那さんもいて、その人もキツイだろうし。そんな夫婦のもとに取材に訪れるテレビ局の人間がいて。そうなると『空白』のときに、マスコミについて描き切れなかった気持ちを思い出して、今度はテレビ局をもっと掘り下げてみたいと思って、ミキサー車のドライバーは4番手みたいになってしまったんです。 ──テレビ局を掘り下げるというのは、SNSでの誹謗中傷を煽るような報道をするマスコミの姿勢を糾弾するということですか。 いや、そうじゃないです。僕はマスコミは悪だから追及しなくては、という考えはなくて、描きたかったのは報道の難しさ。今回の映画の舞台になっているような地方のテレビ局は、僕も取材させてもらいましたが、局員1人ひとりの業務が多すぎて、記者がいくら丁寧な報道を心掛けても、内容を精査する時間が取れなくてミスが起ってしまうことがあるんです。 また、きちんと事実だけを伝えようとしても、例えば関係者のキャラクターが変に立っていたりすると、事実がすでに娯楽性を帯び、なんだか面白く感じられて、するとさらにそう感じられる要素ばかりが求められていく。これは報道する側ばかりでなく、受け取る側の問題でもあるのですが。事実の伝え方、興味を引くためのバランスとか、ほんとに難しい。それをエッジの効いた、でもあくまでも誠実な描き方には注意しました。 ──確かにマスコミ報道の仕方次第で、あらぬ疑いをかけられ、とんでもない誹謗中傷を受けることになったりします。 劇中の沙織里は違いますが、子どもがいなくなって心配している母親が、たとえばブランドものの服を着ているだけで、なんだその恰好は、とか、子どものことが心配じゃないのか、果ては、実は自作自演の犯行じゃないか、なんてSNSに書き込まれる。関係者の誰かが内気で人前ではっきりとした物言いができないというだけでもう疑われてしまったり。