<吹け赤い旋風>カタリナ 指揮官の素顔/下 究極の挑戦へ熱く /愛媛
「こっちに監督として来れるか?」。2015年、聖カタリナ女子高校(当時)の教頭だった父から唐突に話を受けた。男女共学化の計画が進んでいたことは知っていたが「ただびっくりした」。越智良平監督(40)は当時、石川県立小松高の野球部監督として8年目が経過。悩み抜いてUターンを決めた。 創部初年の16年、頭数がそろうのか不安を抱く中、いい意味で期待を裏切られた。36人が集まった。本格的にチームづくりを始める中、大切にしたのは「チームカラー」。好きな色は母校・早稲田大のえんじ色だったが、愛媛では松山商(松山市)のイメージが強かった。どこも使っていない「赤」を選んだ。「一番強く、何もかもを飲み込む色だと思うんです」 その年の夏の愛媛大会は1年生だけで8強に残り、注目を集めた。「赤い旋風」とメディアから持ち上げられ、「カタリナといったら赤」の印象を周囲に浸透させていった。18年には春の県大会で頂点に立ち、続く四国地区大会は勢いそのまま準優勝を果たした。 だが、その後は順風満帆とはいかなかった。19年1月、越智監督らが部内暴言で7カ月の謹慎処分を受けた。熱心さがゆえだったが「距離感などを含め、そこにズレが生まれた」と自省。謹慎期間中はコミュニケーションのあり方などについて改めて考えるいい機会になった。 復帰後、選手の主体性を尊重した指導方法にかじを切った。練習前後のミーティングにはあえて関与せず、まずは選手たちで考えさせる。課題を自主的に共有することで一体感も増した。夢を実現させるにはそう長い期間は必要なかった。 「アルティメット・チャレンジ」(究極の挑戦)がスローガン。宇和島東時代の恩師で、日本一にも2度輝いた上甲(じょうこう)正典監督(故人)の背中が見えつつある。「『まだまだや』と言われるのは目に見えている。だが出るからには勝ち続けて上を狙う」。燃えるような瞳でまっすぐ前を見据えた。(この項は遠藤龍が担当しました)