「週50時間受験勉強で地元に残るはずが」人生一変した斉藤慶子 芸能に無縁のだった少女が芸歴42年を迎えた訳
── 東京に出てきていかがでしたか? 斉藤さん:こんなにテレビのチャンネルがあるんだ!って思いましたし、今までテレビで見たことがある人といきなりお仕事をご一緒することもあってドキドキしました。周りを見ればおしゃれで洗練されて、華がある人ばかり。ただただ眩しく見えました。私も頑張って都会的な洋服も着てみましたが、背伸びしてる感じで似合っているのかどうだったか(笑)。 当時は東京で1週間くらい仕事をして、熊本に帰って大学に戻る生活でしたね。かなり目まぐるしい日々を過ごしましたが、メールやLINEがない時代だったし、電話をするとお金がかかる。ホームシックになったこともありましたが、1週間もしたら大学の友達に会える喜びもあったのでなんとかやってました。その後は、お仕事の幅がどんどん広がって、ドラマや映画、歌手デビューなど東京にいる時間も増えてきたので、大学は中退してお仕事に集中していくことになりました。
■芸能界は本来、厳しい場所かもしれないけれど ── その後の活躍は皆さんご存知の通りかと思いますが、改めて今年で芸能生活40年以上、ここまで長く活動が続いたのはなぜだと思いますか。 斉藤さん:もともと芸能界に強い興味があったわけではなかったし、芸能界でこうなりたいとか、トップを目指したいとかいった願望もなくて、特に気負いもなかったんですよね。芸能界でいじめられたこともないし(笑)、嫌な思いもほとんどせずに来て、なんであの人は私より売れてるのよとか、こんなはずじゃなかったと言った気持ちもなかった。肩肘張らず、いろいろなご縁で仕事が増えていったような気がします。
── または何か起きたとしても、流すことがお上手とかありますか? 斉藤さん:これでいて私は考えすぎてしまうところもあるんですけど、友だちに恵まれているんだと思います。芸能界でも仲良くさせてもらっている方がいますが、学生時代の友だちのようにはできにくい。みんな楽しくお仕事するし、今度みんなでご飯行きたいねって電話番号を交換するんですけど、そこで終わる人が多いです。今つき合いが続いているのは高校時代の友だちだったり、このお仕事を始めた当初からスタッフとして関わってくれている人が多くて、40年、45年のつき合いが続いている人もいますね。芸能界は本来厳しい場所かもしれませんが、いつもなんでも話せて信頼できる人たちに囲まれてきたことが、人生の彩を豊かにしてくれていると思っています。
PROFILE 斉藤慶子さん さいとう・けいこ。1961年生まれ。宮崎県出身。82年大学在学中にJAL沖縄キャンペーンガールに選出されて芸能界へ。モデル、俳優、タレント、番組司会など幅広く活躍。現在は1児の母。 取材・文/松永怜 写真提供/斉藤慶子
松永怜